2007年12月17日月曜日

三つ峠の『てんこ穴』と大月、岩殿山



『てんこ穴』は、未だ訪れていない。
大竹『ほとけの沢』の支流にあるとされる。
大岩の岩屋となっているらしい。
ほとけの沢を歩いたことがあるのだが、支流がいくつもある。
下暮地と大月市初狩の関係は、以前述べた。
下暮地は甲州街道とつながっていたのである。
かつては多くが行き来する交易路であったのである。

てんこ穴を『鎧の岩屋』とする説がある。
武田の落ち武者が潜んだというのだ。
これは、理にかなっている。
下暮地から大月市への最短のコースであったこの道。
この道の脇の『てんこ穴』。
岩殿山に向かうにすれば、この道を進むのだ。
しかし、御坂を越えてわざわざ下暮地へと向かう不思議。
御坂、八町(丁)峠を越え、大幡に降りれば良いではないか。
なぜ、三つ峠方面へと遠回りをしなければいけないのか?
武田落ち武者伝説の不思議。

今では、ほとけの沢を歩くのは困難である。
下暮地、桐(霧)ヶ坂から尾根を歩くのがよい。
湯ノ沢鉄塔までは、簡単に進むことが出来る林道がある。
その先、大幡を歩いたことはない。
湯ノ沢の峠からは、
加畑へ下る道、
尾根沿いを天神峠へと向かう道
沢をそのまま下る道といくつもの道があった。
また、ここから東尾根をのぼり三つ峠山頂へと向かう道もある。

八十八大師の石仏の奉納者、田野倉、沢井の人たちは
ここから東尾根を登っていったのだろうか?
東尾根には、石仏や道標のようなものは見当たらない。

※ほとけの沢
一見、奇妙な名称。
『ほとけの沢』、かつてお寺があったとされる『寺野』、
ここを流れる沢から付けられたと思われる。
寺が流されたという伝説がある。
本尊も流されたとされる。
『柄杓流川(しゃくながれ)』を『釈迦流川』というのは、
そのことから付けられたと思われる。
しかし、『柄杓流』ならば三つ峠山頂から流れ、
『釈迦流』ならばグリーンセンターから寺野へ向かう沢となる。
『ほとけの沢』は、多くの人が行き交う交易路。
ほとけの沢に姥捨伝説があるのはおかしい。
その名称から、後に考え出されたものと思われる。

0 件のコメント: