2010年9月30日木曜日

私なりの見解、悩みぬいたその後

空胎上人が最初に建てた石造物、一字一石供養塔。
横道の開発はいつでしたっけ。
この年の空には彗星が出ていた。
しかし、このことについての空胎上人の記録はない。

何が目的かによって、必要性は変わる。
年間を通しての安全確保。
とすれば、致し方ない。
今後どうあるべきかは、考えれば良い。
考えるに良い機会を与えていただいたと思う。
視点を変えると、見えるものが変わる。
三ツ峠の姿も変わるのをご存知ではないか。
人は、今見ているものを基準としている。
それは、それぞれが異なっている。
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三ツ峠の夜明け、平成維新

三ツ峠が生まれ変わる。
平成の大変身である。

三ツ峠は、もう古い三ツ峠ではない。
幕末から明治を迎え、維新の風はそっと流れた。
しかし、ここに平成の維新。
やっと三ツ峠にも夜明が来た。
新しい三ツ峠の歴史がここに始まる。
おめでとう。
やっと地名辞典やWiki、
どのパンフレットにも書かれているように御巣鷹山、開運山、木無山と呼べるようになったのだ。
山頂は開運山だ。
登る方に運が開かれる山になれるでしょう。
すべて、古文書には書かれていないこと。
新しい歴史がここに始まる。 新しい三ツ峠の時代の幕開け。

「古いやつだと思いでしょうが…」(傷だらけの人生)。
ラジオから流れてきた、なつかしい歌。
ファイト! ファイト! 心の中で叫んだ。
中島みゆきの歌は衝撃的だった。
こんな歌が世の中にあることを知らなかった。
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2010年9月29日水曜日

無題

やって来る。
それでも人がやって来る。
何も知らずに。

時代というものは、
こんなふうに過ぎていくものかもしれない。

私はもう古い人間になってしまったのだ。

時代が変わる。 新しい夜明け。
後にはひけない、時代の流れ。
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どうしたんだろう、この気持

言わなくてもいいことを言ってみたり。
余計なことばと追加して。
相手の気持も考えずに。
すまぬ。
取り返しの付かない状況。

何を苛立っているのだろう。
いつもは何も考えずに歩いているのに。
今日の自分は変だ。

さっさと歩いて、
通りすぎてしまえば、
忘れてしまうハズなのに。
このごろの自分はおかしい。
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山登りは危険

三ツ峠は危険がいっぱい。
よくもまぁこんなところまで来るものだね。
こんな傾斜のとろろに道があって、
観音様を背負ってきた人たち。

幕末の時代、200体もの石造物が奉納された。
観音像が設置された。

こんな崖っぷちを麓から持ち上げたのだ。
三ツ峠は危険がいっぱいだ。
これが三ツ峠なのだ。

こんなところまでやって来るのは利口なのか馬鹿なのか。
わざわざ危険なところにやって来て。

三ツ峠のどこが好きですか

まずはここですね。
馬返しの手前。
もうすぐ馬返しというところ。
やっとここまで来たと言う思い。
そこまで行ったらお休みしようとの思い。

三ツ峠はそこからが変わる。
「馬返し」のここからが特別な領域、
その境界なのである。
馬は立ち入ることは禁じられている。
己自身で踏み込んでいかなければいけないのだ。

引き返すのならここだ。馬返しで引き返す。
取り返しの付かないうちに、引き返したほうが良い。
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御巣鷹、開運、木無の三ツ峠とは

なるほどと思った。
三ツ峠は二つ存在する。

この山を開運山とすれば、後ふたつの峰が必要となる。
御巣鷹、木無を付け加える。
そして、これらを三つの峰とする。
これは南面を全く見ない三ツ峠の姿なのである。
それが主流となってしまったことを意味する。

井伏や太宰は南面の三ツ峠の姿を見ていたのであろうか?
太宰は南面からなら登れたのであろうか?
登れたとしたら何と表現したのであろう。

それにしてもわからぬのは、とよはどうやって下ったのかということだ。
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2010年9月28日火曜日

やっぱり三ツ峠はこの形だ

頂上に行って
御巣鷹、開運、木無なとどいう方にはわからいだろう。

頂上に行ったって
どこがどこだかわからい。

三ツ峠はこの形が三ツ峠なのだ。

御巣鷹でも開運でも木無でもない、
三ツ峠自身のみっつの岩峰。

近寄れば近寄るほど見られない姿。
ああ、俺は、この街で、寝ながらにしてこの姿を見られるのである。
この形を変えることができるのなら、変えてごらん。
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これは写真の修正です


写真を修正してみました。
現実ではありませんので注意してください。

岩を除去してみました。
どうです、歩きやすくなったでしょう。

これは冗談です。
現実ではありませんので注意してください。
写真の修正をしただけです。
実際にこんなことがされる訳ではありません。



2010年9月27日月曜日

三ツ峠は本当にいいのか

三ツ峠がイイね、なんて言えるのだろうか。
三ツ峠は誰でも登れる必要があるんだろうか。
苦労して、苦痛で、つらい山で。

いつか馬返しで合った人。
おじいちゃんは昔三ツ峠に登ったのだと言う。
お孫さんだけ山頂まで行ったのだと言う。
おじいちゃんは馬返しで待っていた。
お孫さんが帰ってきた。
お孫さんは言っていた。
こんな大変な山なんか二度と登らないと。
三ツ峠は大変な山なのである。だから、人が登る。
おじいちゃんは三ツ峠の山が大変だから楽しいことを伝えたかったんだ。

里では、みんなが均等でなければならないそうで。
区別は差別だそうで。
出来ることはやって、出来ないことはゴメンと言ったらだめなんだろうか。
出来ることはやってあげて、出来ないことはやってもらって。
世の中に凸と凹、二つあってはいけないのか。
凸に凹を要求され、凹に凸を要求される。
里から逃げて山に入ったけれど。

もっと無名なほうがいいような気がしてきた。 三ツ峠の山。

ゴメン。 何もできるわけでもないのに、何か、加担したような気がして。
例の金曜の夜のことが、辛くなりました。
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お父さん、お母さん

不思議なことです。
人はなぜ危険なところに出かけるのでしょう。
わざわざ選んで。
古くは修験者たちの修行の場。
危険なところだらけ。

ボクが玄関をでたときから、危険がいっぱいあります。
お父さん、お母さん。
ボクを心配してくれるのは、ありがたいと思っています。

人はなぜ危険な山に出かけるのでしょう。
いっそのこと、入山禁止にしてしまいましょうか。
私は気が付きませんでした。三ツ峠が変わっていくことを。

三ツ峠登山道の落とし物

音がしていたんです、さっきから。
しばらくすると、同じ音が聞こえてきます。
何かがいるのだと思っていました。

また音が聞こえてきました。
今度は足元に転がってきたんです。

足元にはいくつもありました。
でもたいていのものは実がありません。
何かがやってきているのでしょうか。

去年の秋にも不思議な音が聞こえていました。
その時はドングリでした。
リスも見ました。
これは誰がやってくるのでしょう。 その歯型。
ボクにとっては三ツ峠の不思議なのです。
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2010年9月26日日曜日

私たちが望むものは、三ツ峠

私たちが望むものは、時には優しい三ツ峠であり
私たちが望むものは、時には荒々しい三ツ峠なのです。

ひとたび、三ツ峠に入って目にしたいものは、
自然のやさしさであり、
自然のきびしさなのであります。

三ツ峠に入って聞こえてくるものは、
電車の音が聞こえてきます。
中央道の自動車の音も聞こえてきます。

だけど、ふと一人ぼっちになって
風の音が聞こえてきます。
鳥の声が聞こえてします。
木々の音が聞こえてきます。
「ボトッ、ポトッ」と聞こえてきます。
ほら、栗の実が足元に転がってきました。

私たちが里を離れ、この山に入ってきたのは、
これらを味わうためなのであります。

時には神秘な気配を感じます。
私たちが望むものは、そんなことを感じさせてくれる三ツ峠なのです。

※私だけだったらゴメンなさい。一人ぼっちの三ツ峠の旅。
三ツ峠が三ツ峠でなくなってしまうことは寂しいことです。
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心配しています、三ツ峠の山

午前中は、天気が良かった。
三ツ峠に登る。
三ツ峠が変わりはじめている。

「昨日の三ツ峠は、もっと良かったのに」
と言われてしまったらどうでしょう。

三ツ峠は良さとは、なんでしょう。
山の上に近づき、天気は変化していきました。

これから三ツ峠はどうなるのでしょう。
三ツ峠が三ツ峠でなくなってしまうこともあるのでしょうか。

午前中には晴れていたのに、夕方には雨が降り始めました。
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2010年9月19日日曜日

三つ峠の麓の反応

日曜、三つ峠の麓。
西桂の小学校の運動会。

先日の効果、少々。

『しんれいのたき』と言うのだそうです。 今では。
確かに、失礼いたしました。 今となっては。
あの滝は、埋まったところを彫り出した滝。
そのように命名されたとすれば、私の誤り。

もともと三つ峠の山中にある滝が、『みすずのたき』
猫のお札をもらえるのが『みすずごんげん』

『神鈴』を『みすず』と呼ぶのは古いもの。
『神鈴』を『しんれい』と呼ばせるのは新しいもの。
これも、はっきりしていて良いのかもしれません。
私は、新しい方を『みすずのたき』と呼んでしまいました。
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高くて、岩の三つ峠

都留市谷村から。
大学の図書館は閉まっていた。
9月は土日はダメなようで。10月にならないと。
ここで古い地図を確認しようと思ったのですが。

谷村に来ても三つ峠は目立つ。
低いほうの大幡八町も目立つのだが。
三つ峠は気になっていい山だ。

西桂を通って、富士吉田まで。
三つ峠は近くて、高くて、目立つ。
しかも岩の山。 形もいびつで、おかしな山。

それぞれの土地に、いろんな思い。
当然なのかもしれない。 それぞれの考え。
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2010年9月18日土曜日

三つ峠は岩の塊

三つ峠の姿は、眺める場所で随分異なる。
富士講の行者たちが見ていたものは岩山。
富士の北に位置する。

三つ峠が三つの岩山であるのは
特定の方角でしか望めない。

三つ峠は岩の山。
その岩から水が出る。
三つ峠は水峠。

この水はどこからやってくるのだ。
富士山の北に位置する三つ峠。
天の柄杓はこの山に水を注ぐ。
三つ峠は岩の塊。 なのに水が湧き出る。
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2010年9月17日金曜日

三つ峠に登ってみたけれど

三つ峠って何?
八十八大師は何合目あたり?

たいていの方は山頂を目指すことを忘れていた。
私は屏風岩下に着けば行き過ぎ。
だから八十八大師に着けば十分。

7合目か8合目なんて気の利いた返事はできなかった。

今日は金曜、午後8時は過ぎた。 悩みの時間。 山梨の夜。
見てないから知らないけど。
今度は普通に登って、普通に考えてみよう。
知らないことばかりの、私の三つ峠。 電話が3本鳴りました。
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2010年9月13日月曜日

中野からの三つ峠

西桂中学から三つ峠は見えないと思っていた。
ここから三つ峠が見えるのである。
学校林(城山…かつて烽火台があったとされる)と金峰山の間。
滝入のくぼみの上。
中野川と数見川に挟まれるこの地。
かつては水路脇に小道があった。
先の宮へ続く道である。
先の宮は小沼と下暮地の元の宮とされる。
三つ峠との位置関係は興味深い。
金峰山を挟み、山頂に柄杓の星が沈む位置なのである。

中学からはまったく見えないと思っていた。
新たな発見。
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2010年9月12日日曜日

三つ峠の里

蛍水祭、体育の部。
西桂中学の体育祭。
飛び交え、若人たち。

下暮地区では、子供の神輿。
9月の里は、にぎやかな声。

ここは西桂、三つ峠の里。
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三つ峠、秋

三つ峠駅で再会。 山に登るのかと問われる。
土曜も日曜も里での行事へ。

秋、秋祭り。
里では子供の神輿。

秋、運動会。
里では中学校も小学校も運動会。

当分山には入れません。
里でも当分、水分補給の必要な日々。

日が暮れると、この山の上に柄杓が現れることを
何人の方が気づいておられるか。
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2010年9月10日金曜日

三つ峠のパズル

だるま石からの登り始め。
最初の難所。
ヨイショとロープを手繰り寄せ、越えていたところ。
今では、そんなところもあったのかと通り過ぎてしまう。
三つ峠の登山道が整備されている。

先週の金曜日の登山は大変でした。
やはり三つ峠はこの登山道に限る。
ここを登らねば三つ峠の面白さは味わえぬ。

麓に戻ったのはすっかり暗く、
三つ峠の上に北斗七星が輝いていた。

やっぱり三つ峠は水峠ですね。
問題はそれを考えたのはいつなのか?
そして、それを信じた人々の地域はどこまでの範囲なのか?

三つ峠は不思議。 パズル。 少しずつ、謎を解いていこうではないか。
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2010年9月7日火曜日

私は何も知らない、三つ峠のこと

三つ峠とは何なんだ。私にとって。
質問されも、答えられない。
近くにあって、ここしかないのだから
選択をしたわけでもない。

三つ峠の
南は、猫のお札。
北は、犬のお札。
どちらも狼のお札ではない。
どうして猫で、
どうして犬なのか。

富士山を眺めるのに
どうしてここに登るの?
富士山はどこだって見えるのに。
幕末の人々は200体もの石造物をどうしてここに運んだの?

どうして三つ峠でなければならないのか。
不思議なお山の三つ峠。

今でも人々は三つ峠を目指す。
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2010年9月5日日曜日

点か面か、柄杓と三つ峠

30度の位置。
真北から東、西。
河口湖筒口神社から東の位置。
西桂から西の位置。
点でみれば、ここにしか与えられない。

富士吉田月光寺からではどうか。
神主の杓が流れ出る池。
三つ峠は真北に近い位置となる。
筒口神社も月光寺も、三つ峠そのものは見えない。
しかし、水の山三つ峠は意識しておかしくない。

筒口神社、西桂、月光寺、
そして北口浅間神社にしても
北辰妙見が祀られていたとされる三つ峠は北に位置する岩の山。

柄杓流は、北斗七星であると考えてもよいではないか。
足元ではなく天空に注目したい。
皆様は、どうお考えか?

それにしても三つ峠の麓、西桂も暑い。
三つ峠の水は尽きることはないのか。

この季節、西桂では夕暮れに三つ峠に北斗七星が沈む。
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2010年9月3日金曜日

9月3日の三つ峠、登ります

今朝、6時前の三つ峠の姿。
今日、この山に登る。
登山道は右の尾根。
尾根をほぼ登りきると、西側(左)への横道。
屏風岩へと進む。

幕末、この横道に200体もの石仏が設置された。
明治、このことが忘れ去られる。
昭和、これらのことが解明されていく。
今、もう一度確認してみたい。

一時期の一瞬の風。
人々は何故、この山を目指したのか。
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