2010年6月28日月曜日

開途橋から三ツ峠

小沼と下暮地を結ぶ橋を開途橋(かいとばし)という。
ここから三ツ峠を眺めてみる。
三ツ峠が信仰の山と成り得たのは、その姿が三つに別れていること。
また、それぞれが岩塊であるからである。
馬鹿げた話であるが、三ツ峠は富士さんより高いと思うことがある。
三ツ峠は天に刺さっている山なのだ。
実際には、富士山には雪があるのみ三ツ峠には無い。
標高は比較にならないほど低い。
なのに三ツ峠の姿は、奇妙な感情を湧き出させる。
この季節の三ツ峠は、雲の間から見え隠れする。
岩下を目指す人々は、この姿を目にして何を感じていたのだろう。Posted by Picasa

2010年6月21日月曜日

もう一度みたい風景、三つ峠

何でもな光景である。
しかし、ひょっとしたら。
落葉したらまた見に来てみよう。
日曜は、7時前から登り始めた。
山の中では虫除けの網が役に立った。
 お昼には下山。
午後は甲府にお出かけ。

2010年6月19日土曜日

毎日登る方もいる三つ峠の山

今日は登ることはあきらめました。
この道を山祇神社から馬返しまで
毎日登っている方もいるらしい。
この写真を撮っている間に
その方が降りてきました。
前日の天気からぬかるんでいたら
嫌だとあきらめた自分。
明日、午前中だけでも歩いてみようかしら。
迷っているうちは行かない。
右側の雲(霧)は、
馬返しを乗り越えている。
富士山は先程良く見えていた。
傘があるけど。
登っている方は、普段と違う富士をながめているかもしれない。
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梅雨の合間の三つ峠

昨日いらい雲に覆われていた三つ峠でした。
今日はというと、先程までは見えなかった。
雲(霧)が消え、初めは山頂だけがポッカリ。
幻想的な三つ峠でした。
三つ峠駅まで所要で行った帰りには、もうこの状態。
三つ峠の三つの岩峰。
山頂に立つ登山者たちは、この姿をご存知であろうか。
三つ峠がかつて信仰の山であったころ。
どうして信仰の山に成り得たのか。
この山の形を知らずして...。

本日は所要の為、登れそうにない。
明日はというと、博物館に行きたいので残念。
先日は雨の中を3回も転んで泥だらけ。
怪我をしなかっただけ運が良かった。
1週間後の日曜日にはどうかな。
「頑張れ」、「つまらない」にクリックしていただいている方がいる。
どちらにも感謝しています。 少しでも関心を持っていただければ(批判であっても)
一人でも誰かに見られていることで、孤独感が薄れます。 自分の弱さ。
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2010年6月18日金曜日

三つ峠の東照宮跡か


東照宮は、ここにあったのかもしれない。
三つ峠の南面の風はどうなのらどうか。
富士山では北西のルートがないのは偏西風の影響と言われる。
三つ峠には西に夕日の尾根といわれるものが存在する。
南に霊峰富士。
三つ峠の南面は都合のいい場所なのだと思われる。
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2010年6月17日木曜日

三つ峠の船

御船石とはどんなものだったのだろう。
里をどんなふうに眺めていたのだろう。
霧の晴れ間から西桂が見えた。
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2010年6月13日日曜日

三つ峠の今昔

昭和6年 河口湖-御坂トンネル開通
昭和11年 富士箱根国立公園指定
昭和18年 三つ峠駅に改名

三つ峠が変化していく。
御坂、八代方面からの信仰を伝えることが
消えていく瞬間なのかもしれない。
信仰そのものはとうに無いのであるが、
明治を伝えることができなくなったのであろうか。
何が正しいのかと言えば時代において変わる。
今は今が正しく、昔は昔が正しい。
ということかもしれない。 
2000年もさかのぼれば何の考えもなく。
幕末明治初期にこだわってみようと思う。
準備ができたら出かけようと思う。 朝。

2010年6月11日金曜日

「三ツ峠活性化会議」だそうです

「三ツ峠活性化会議」なるものが行われたそうです。
この参加者には、三つ峠に(何度も)登ったことがある方がどのくらいいたのでしょうか。
あまりワイワイしてしまうと、つまらない山になってしまうかもしれません。
かといって何もしないのも。
数十年ぶりに登る方には、今の便利さを残念に思う方もいるようで。
不便という贅沢を味わえなくなってしまうこと。
わざわざお金を出して不便さを買うのですが。
幕末の三つ峠の信仰信者たちは、不便を味わっていた。
楽な道で登ることができるのに、それを選ばない。
やっていただけるとすれば、三つ峠の姿を楽しめるようなことを考えていただきたい。

2010年6月9日水曜日

三つ峠の山頂


三つ峠の山頂は、こんな石の塊だったのだろう。
そしてそこに祠でもあったのかもしれない。
中峠もこんなふうになっている。
東峠はどうだったかしら。
東京湾と駿河湾がつながっていた頃の海底の石らしい。
富士山が生まれるずっと前の時代。今度山頂まで行ったら、そっと撫でてみようと思っている。
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2010年6月8日火曜日

三つ峠にとっての昭和とは

昭和6年、御坂のトンネル開通。
三つ峠への登山が変わっていくことになる。
太宰治、井伏鱒二もそこから三つ峠に登る。 
藤野木、黒駒との三つ峠への関わりも
その年から変化していったのだろうか。
三つ峠の地形は、方角によって全く異なる。
険しくもあり、険しくもなく。
昭和18年、三つ峠駅に名称が変更。
いよいよ水峠から三つ峠へと流れが変わる。
三つ峠の石造物たちは、そのことを感じているに違いない。 
昔、昔、その昔、三つ峠は信仰の山であった。
 
「浄土三部妙典塔」とは判読できない。
忘れ去られることも歴史なのかもしれない。
踏まれ、踏みつけられて新しい時代が生まれていく。
いつまでも過去にとらわれていてはと、
先人が言ってくれると思えばよいのでしょうか。
三つ峠はかつて信仰の山だった。
しかし、今は違う。
これは事実。

2010年6月7日月曜日

とよ女伝説と地球温暖化

とよの伝説を考えるとあまりに新暦に合いすぎている。
現代に作られたものかと疑問に思っていた。
ところがこうも思ってみた。
地球の寒暖は400年の周期があるらしい。
江戸中期以後の飢饉をみると冷害によるもののようだ。
飢饉というと日照りとばかり思っていた。
江戸期には地球の寒冷化によっての冷害だったのかもしれない。
とすれば、とよの伝説は旧暦でも成り立つのではないか。
三つ峠と北斗七星のお話で農耕との関係を考えたとき、
地球温暖化も考慮にいれたら仮説の不具合は生じるのだろうか。
※そもそも現代においては地球寒暖周期により温暖化の時期にあるらしい。
問題となるのはその傾き、加速化にあるようである。
産業革命以降、温暖化への人的要素が加えられているという。
本来次の寒冷化の時期になっても、温暖の状況が進んでしまうことになるかもしれないというわけだ。
従って、人為的な熱の放出を少しでも避けようというもの。
「地球に優しい」ということでなく、「人類が如何にして生き延びるか」という問題。 と解釈している。

2010年6月6日日曜日

水雲山の犬

御坂を越え、藤野木、黒駒を訪ねる。
三つ峠との関連はあるのだろうか。
KさんやAさんに会う。
飛び込みで聞き込みをしていて
この方々に会うのが良いとの情報による。
三つ峠との関連は難しい。 
これが関係ないことを意味するのかそれとも伝承が途絶えてしまったものなのか。
大幡のお札の犬に出会う。 甲斐の血をひくものらしい。
犬のことはわからないが似ているように思う。
昨日の三つ峠の疲れのせいか、少々頭痛気味。
三つ峠の水は効いているのだろうか、我が頭痛。
来週は富士山の受講だっけ、とすれば三つ峠へは日曜か。

三つ峠は1786mか1785mなのか

山頂の碑には、1876mとある。
「水峠」の三角点は低い位置にある。
開運山とされるこの場所での富士山の眺めは有名らしい。この場所が妙に平が広いのには不思議な気がする。山頂の石碑の下は岩がある。
いつのころかこの地を削ってしまったのだろうか。 水峠(三角点)は1875mで三つ峠(西峰)は1876mということらしい。
あいにくの天気で久しぶりでの山頂登山。
帰りには神鳴りがゴロゴロ。 怒りにあったのかと思ったのだが、新緑の樹木のトンネルで雨具もいらずに下山できた。
まだまだ、いくつかの疑問を解きに通わなければならない。

2010年6月5日土曜日

三つ峠の三角点、水峠(みずとうげ)

霧の中、三つ峠に登る。
久しぶりの山頂である。
これが「水峠」の三角点。
当初の目的は残念ながら達せず。
しかし、お船石跡のルートを登る。
明治以前の方の信仰には驚く。
山頂に立つだけなら苦も無く行く方法があるのに。
わざわざ大変な道を進む。
辿り着くのは中峠本社。今では何も無い。
三つ峠山頂に移動する。屏風岩の上の西峠。
ハイカー達は、霧に埋れた富士を残念がっていた。
私は三角点の確認に満足。
今日も三つ峠にやって来ることができたのだ。
レンズは水滴で曇ってしまっている。
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2010年6月3日木曜日

三つ峠、とよ女の伝説でわからないこと

とよは神鈴権現へお参りに来たのはいつなのか?
5月5日の祭りの日?
現在では、この日あたりから「とよ」に会うことが出来る。
しかし、旧暦ではつじつまが合わない。
本日もまだ4月。とうに「とよ」に会えないのである。
とすれば、祭りは5月5日ではなかったのか?
3月や4月の初めのことだったのだろうか?
「とよ」がどこから来たのかの疑問。
祭りがいつだったのかの疑問。
これは伝説の話である。
伝説の中に隠されたメッセージは何だ!?