2007年12月29日土曜日

今日も、窓から三つ峠

窓からの三つ峠。

年明けまで、この地を離れることに。
今年も三つ峠を眺めてきた。
富士山を眺めるより、その回数は多い。

まったく見られていないかと思うと、
そうでもないらしい。
わずかな方がチョコッと覗いていただいて
いるようなのだ。
わずかな方が、この三つ峠を
そして、この西桂に
何かを感じていただければ幸い。

三つ峠の山頂に立つばかりでなく、
眺めていただければうれしい。


古く、多くの人々が富士山を目指して来た。 江戸からやってきた人々は、この地に入ったとき、
三つ峠、倉見山、 桂川に何かを感じたはずだ。
長州藩の医師、川合立玄氏は江戸を離れ、この地に根をおろす。 
その子、川合信水氏はこの地を意識して育った。 馬車鉄道は、この地が接続場所となった。
幕末、イギリス外交官、アーネスト佐藤氏はこの地で昼食を取る。
富士山の全景が見える、三つ峠が見える、倉見山がせまる、桂川が流れる、いたる所からの湧水。
何かを感じないわけがない。

わずかな方々でも、ご覧になってくださるのなら、来年もよろしく。
では、出かけます。 今年にさようなら。
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2007年12月28日金曜日

三つ峠の顔の岩を眺めて

三峠水雲山。
三つ峠のうち、このピークの名称なのか。
それとも、みっつのピークすべてを水雲山と称するのか。
私は、この顔の岩を持つピークだと信じている。亜
2年くらいになるだろうか。 山に向かう人々に話しかけてきた。
天保時代といわれる絵図を見てもらった。
三つ峠が単独で三つの峰に見えることを伝えてきた。
御巣鷹、木無は三つ峠と別の山であることを
わかっていただいたであろうか。
声をかけると、再びあう方もいた。
三つ峠。 古い石造物のある山。
この山の不思議な形。
北斗七星と三つ峠の関係。
柄杓流という川の名称。
地理的に恵まれ、多くの方が歩く山。
三つ峠の眺めは、
やはり西桂からがいい。私は、この地に住んでいるのだ。
たどり着いた、この土地。
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2007年12月27日木曜日

三つ峠山中の落し物



登山道ではありません。
ほとんど人の入ることのない領域。 登山道から外れたところ。
住処になりそうな、岩陰。 まだ、お目にかかったことはない。
西桂町YLO会館の2階には、剥製が展示されている。
まだまだ、歩いていない三つ峠の山中。
あそこと、あそこ、歩いてみたいところ。
訪れたいところは、あそこと、あそこ。
時期と心の準備が整ってから。
まだまだ、知らない三つ峠。

みつとうげ、こわものどもの、爪の跡。
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2007年12月26日水曜日

三つ峠と大日如来



だるま石に梵字アークが彫られている。
アークとは、胎蔵界大日如来をあらわすという。
では、なぜ『アーク』なのか?
なぜ、『胎蔵界』なのか?
安置されている状態は、『胎蔵界』。
しかし、安置されているのは『金剛界』。
ただし、印相の手は通常とは反対。
これらが意味するものな、何なのか?
まだまだ、三つ峠には不思議がある。

今日も、だるま石を通り過ぎていく人々。
きっと、だるま石も本当は『daruma-ishi』なんて
呼ばれていたんじゃあないはず。

時の流れ、時代が過ぎて
誰かが『daruma-ishi』なんて言い出したのだろう。
今では『だるま石』、これからも『だるま石』。

だるま石に刻まれた『アーク』の梵字。
なぜ、アークなのだろうか?
なぜ、この場所に?

われわれは過去に何かを置き去りにした。
それは、いったい何なのか?

2007年12月24日月曜日

雪、三つ峠を

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里の朝も冷え込むこの季節。
三つ峠を目指す登山者。

2007年12月23日日曜日

雪、三つ峠へ

昨夜、雪が降る。
三つ峠へと向かう登山者たち。

今日も、三つ峠。
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2007年12月22日土曜日

数見山という山はどこか?


数見山は、三つ峠山から天上山へと続く
『夕日の尾根』の中にある。
数見川の源流の沢を持つ。
沢の両岸とも数見山だ。
江戸時代から、『かずみやま』と呼んでいる。
山の名称は、江戸時代に記されているものと
ずいぶん違うものも多いのである。
数見山は、絵図にも『数見山』と書かれているのだ。

ここで興味深いのは、
『数見山は、ピークを持つわけではない』点だ。
数見山は、その地域をそう呼んでいる。

江戸時代、ピークを持つ山に名称を付けていたわけ
ではないらしい。


我々は山というと、ピークの頂点のことを考えてしまう。 そして、そこを目指して登ろうとする。
明治以前、ピークを目指す者は修験者など限られた者だけであったようだ。
山は生活の一部であって、たいての山は領有権が集落ごとにきめられていた。
いったん境界を越えるともめごととなった。『論所(ろんしょ)』と呼ばれる場所があちこちに存在する。
領有権のない場所に名称を付ける必要もなかったのである。
そこを所有する地域の人たちが『数見山』と呼ぶところは、沢の斜面いったいのことなのである。
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2007年12月21日金曜日

富士の山と三つ峠の山


天保時代のものとされる『甲斐神鈴峰之図』。
ここに富士が描かれていることに、何となく疑問を感じていた。
三つ峠の登山道を歩いても、かなり上に登らないと富士の姿が見えない。
『股覗き』でようやく見える。
しかし、すぐに見えなくなり、次は『八十八大師』か『親不知』だ。

絵図には、里の姿から三つ峠山頂まで描かれている。
どうも、山頂から見る富士の姿には感じられない。
この疑問が解けたのだ。

実は『だるま石』よりも手前、現在の『神鈴の滝』付近、
尾根の向こう、ここから富士山が眺められたのである。
現在は樹木のため、それが出来ない。
『山祗神社』から、登山道を歩いていくと、
すぐに富士山が見えていたのである。
そして、前方には三つの峰。
絵図のように、三つ峠も富士も見えていたのである。

180年前の人々が感じていたものが見えてくる『神鈴峰之図』。
三つ峠は、三峠。
けっして、御巣鷹、開運、木無の山のことではない。

2007年12月20日木曜日

三つ峠の大沢(柄杓流川)


だるま石を大沢沿いに進む。


沢の姿は、こんな状態。


行けども、こんな状態なのである。
『泣き石(岩)』と呼ばれるところは、まだまだこの奥らしい。
岩の上から降りられなくなり、泣くことになったことから付けられた名称と言う。

同じ状態になる前に退散することにした。
どうやら、このあたりにはここを住処とする先住者がいるらしい。
お会いする前に、失礼することに。 
ここは大沢、柄杓流川の源流である。

2007年12月19日水曜日

三つ峠、林道脇の岩たちの姿


三つ峠への林道を歩くと奇妙な岩たちに出会う。


これは、『チュッ』としている岩。


ここには、亀がいる。


アンパンマンの顔。


ここには、栗の実があった。


そして、だるま。

だるま石までの散歩。 三つ峠を眺めながら、まわりを楽しみながら歩く、散歩。

2007年12月18日火曜日

三つ峠の大沢から



柄杓流川の上流は、『大沢』と呼ぶ。
だるま石を元山の神の方向に進む。
林道の終点に堰堤がある。
ここから下流を眺めると御正体山がよく見える。
手前は、鹿留(ししどめ)、境(さかい)から倉見山に続く尾根である。

2007年12月17日月曜日

三つ峠の『てんこ穴』と大月、岩殿山



『てんこ穴』は、未だ訪れていない。
大竹『ほとけの沢』の支流にあるとされる。
大岩の岩屋となっているらしい。
ほとけの沢を歩いたことがあるのだが、支流がいくつもある。
下暮地と大月市初狩の関係は、以前述べた。
下暮地は甲州街道とつながっていたのである。
かつては多くが行き来する交易路であったのである。

てんこ穴を『鎧の岩屋』とする説がある。
武田の落ち武者が潜んだというのだ。
これは、理にかなっている。
下暮地から大月市への最短のコースであったこの道。
この道の脇の『てんこ穴』。
岩殿山に向かうにすれば、この道を進むのだ。
しかし、御坂を越えてわざわざ下暮地へと向かう不思議。
御坂、八町(丁)峠を越え、大幡に降りれば良いではないか。
なぜ、三つ峠方面へと遠回りをしなければいけないのか?
武田落ち武者伝説の不思議。

今では、ほとけの沢を歩くのは困難である。
下暮地、桐(霧)ヶ坂から尾根を歩くのがよい。
湯ノ沢鉄塔までは、簡単に進むことが出来る林道がある。
その先、大幡を歩いたことはない。
湯ノ沢の峠からは、
加畑へ下る道、
尾根沿いを天神峠へと向かう道
沢をそのまま下る道といくつもの道があった。
また、ここから東尾根をのぼり三つ峠山頂へと向かう道もある。

八十八大師の石仏の奉納者、田野倉、沢井の人たちは
ここから東尾根を登っていったのだろうか?
東尾根には、石仏や道標のようなものは見当たらない。

※ほとけの沢
一見、奇妙な名称。
『ほとけの沢』、かつてお寺があったとされる『寺野』、
ここを流れる沢から付けられたと思われる。
寺が流されたという伝説がある。
本尊も流されたとされる。
『柄杓流川(しゃくながれ)』を『釈迦流川』というのは、
そのことから付けられたと思われる。
しかし、『柄杓流』ならば三つ峠山頂から流れ、
『釈迦流』ならばグリーンセンターから寺野へ向かう沢となる。
『ほとけの沢』は、多くの人が行き交う交易路。
ほとけの沢に姥捨伝説があるのはおかしい。
その名称から、後に考え出されたものと思われる。

2007年12月16日日曜日

早朝の三つ峠

早朝の三つ峠は、赤い。 小沼上、浅間神社より。


下暮地、グリーンセンター付近から。


憩いの森へ進む。 


だるま石まで来ると。


早朝の三つ峠は、赤い。
午前7時を過ぎると、あっという間に様相が変わってしまう。
赤い、赤い三つ峠を眺めるには、
早朝にこの地に到着していなければならない。
赤い、赤い三つ峠の姿。

2007年12月15日土曜日

三つ峠はその形がみつとうげ(三ッ峠のミッツ)

三つ峠駅ホームと三つ峠の山。 ここから三つ峠が始まる。


西桂、富士吉田の境界付近から眺めてみた。


西桂、グリーンセンター、武道館より眺める。


憩いの森から眺める。


だるま石より大沢の奥より眺めてみた。


今日は、朝から三つ峠を眺めてみました。
最後は、ヤブ、ヤブ、ヤブの中から。


三つ峠の美しさは、その特異な形にある。
三つ峠がみつとうげとして見える場所をさがして。

三つ峠は、その形、これこそ三つ峠なのである。
御巣鷹、開運、木無ではないのは明解!

三つ峠を眺める。 三つ峠は眺めて楽しめる山である。

林道で出会った人がいた。 体のために歩いているという。
かつて、陸上長距離をしていたという。
『富士登山競争の○○さんを知っています』と言ったら
仲間の方だと言っていた。
○○さんは、グリーンセンターのお風呂で知り合った方だ。
だるま石までの林道は、頂上を目指す人ばかりではない。
いろんな人が歩いている。 この三つ峠への道。

2007年12月13日木曜日

三つ峠、股のぞき先の不思議な石



だるま石から登山道を登る。 股覗きを過ぎる。
すると、奇妙な石に出くわす。
ここを通るたびに不思議に思うのである。
あまりに整いすぎているではないか。
きわめて長方体に近い。
かつては、この長方体、立っていたのではないか?
しかし、ぐるっと見回しても、文字らしいものはない。
とすれば、地面に接している側に何か書かれているのだろうか?
この石が、何とか石のような話を聞いたことがない。
どうして、登山道にこのような石が存在するのだろうか?
もともと、このような規則正しく割れてしまう性質があるのだろうか?
しかし、この石を何とか石という話を聞いたことがないのだ。
登山道を歩くたびに、不思議に思うのである。
ここを通る人々は、なんと感じるのだろうか。
この石を何とか石という話を聞いたことがないのだ。

2007年12月12日水曜日

三つ峠、白雲荘跡の岩屋



神鈴権現の手前のは、山小屋白雲荘跡があります。
空胎上人のゴチョウヤがあった場所とされています。
現在では崩落が進み、『不動尊』の石碑があるはずなのですが、
埋もれてしまっているらしく、確認できません。
この裏には、岩屋があります。 2年ほど前でしょうか、暑い夏の日。
スズメバチの巣を作りました。 その巣も現在は、ごらんの通り。



岩屋は、岩の窪んだところです。 そこには、光背型の観音像が置かれています。

2007年12月11日火曜日

三つ峠、山祗神社の『元山の神』





『元山の神』は、かつての林道脇にありました。
今では、砂防堰堤のためそこを通ることはありません。
林の中に、ひっそり、ひっそりと建っています。
箱型のようになっていたと思われ、
御神体が納められていたのかもしれません。
天保時代とされる『甲斐神鈴峰之図』にも
描かれています。

この季節ならば、比較的簡単に見つけることが出来ます。
山祗神社の『元の神』。

2007年12月10日月曜日

三つ峠の『顔の岩』を眺める場所



『顔の岩』を眺める場所は、ここなのです。
ここに来たら、しばらく眺めてみて下さい。
見える方には見える、見えない方には見えない『顔の岩』。



八十八大師を通り過ぎると親不知に着きます。
明治以前の三つ峠数え歌の中に『親不知』と言っていますから、
古くからそう呼ばれているようです。
崩れている場所にロープを張ってあります。
足元注意。 足元を見ながら緊張して、急いで渡って通りすぎて行きます。
ちょっと、待ってください。 親不知を通り過ぎる前。
ここに差し掛かったら、見上げてください。
そこには、三つ峠の三つの一つ、東峠、水雲山が見えています。
その岩、午前中に眺めると『顔の岩』に見えるのです。
『北辰妙見』が祀られているという東峠なのです。
三つ峠の中央のピーク、総本社、中峠との間には、
『夫婦岩』があるとされています。
『甲斐神鈴峰之図』に注連縄が張られている岩が描かれています。
たぶん、それが『夫婦岩』ではないかと思われます。
この場所からですと、2本に見えないのですが、
麓から見ると、2本に見えるのです。

親不知に差し掛かったら、渡る前、
見上げてみて下さい。
『顔の岩』は、私にだけにしか見えないのでしょうか?

2007年12月9日日曜日

三つ峠、神鈴権現尾根を歩く



だるま石を通り過ぎる。
山祗神社の元と言われる元山の神。

ついつい奥に足を踏み入れてしまう。
もう少し、もう少し。今日は何の準備もしていない。
登るつもりもなく来てしまった。

登りはじめてしまう。ヤブ。木々の間から富士山が見え始める

 

引き返すタイミングを逃してしまう。
もうここまで来たら上に行くしかない。
道がないわけではない。
はじめのうちは、人の道。
登るにつれて、他の道。
岩と岩の窪みがいくつかあり、
住まいとなりそうな所がいくつもあった。
出会いませんように。 願いをこめて。 
もうここまできたら上に行くしかない。
なんとか、三つ峠の頭が見えてきた。 もう少し。
やっとの思いで『一字一石供養塔』にたどり着く。

 

三つ峠の中峠、神鈴権現から延びる尾根。
前から登ろうと思っていた尾根。 本日登る。
昔の三つ峠とは、こんな道であったろうと思える道。
異常に平らなところがあるかと思うと、
岩をまいて進まねばならぬ道。

ここは、下りには使えない道。



悩み多き半年以上が続きました。
悩み悩んで数ヶ月。
そろそろいいことだっていいじゃあないか。
きっと来る、きっと来るはずだ。
少々、山に入る期になって、
尾根を歩いてみました。
登山道では、ありません。
ところどころ岩があって、
まいて、まいて、右左。
人に会うことはありません。
この季節でしか無理かもしれません。
進められるコースではありません。