2007年5月31日木曜日

八十八大師の謎2

八十八大師は、ほぼ真南を向いている。
これを決めるのに、昼間、太陽で行うことは難しいのではないだろうか?
ところが、夜、北極星を基準にすれば容易いだ。

そもそも、『北辰妙見菩薩』が三峠に祀られていることが
古文書にある。
とすれば、北極星を意識していたわけだから
その方角で、八十八大師の位置を決めたのではないだろうか?

そんな気がするのです。

2007年5月28日月曜日

八十八大師の謎


三峠山中の目度内というところに、八十八大師がまつられています。
かつてめは八十八体のありましたが、明治の神仏分離令以降、三峠の信仰は途絶えるとともに何体かは紛失してしまいました。 八十八体供養塔は倒れています。
 このお大師様たちなのですが、真南を向いているのです。 当時の人々は、方位磁石を利用したのでしょうか? 

2007年5月27日日曜日

『柄杓流川』の源流は『三峠』

『柄杓流川』の水は、三峠から流れ出しています。
昔、河口湖から柄杓が流れ、三峠を抜け出したという伝説があります。
しかし、これは伝説。

三峠のうち、東峠、を『水雲山』と呼んでいたようです。
そこには、『北辰妙見菩薩』が祀られていると古文書にあります。

『北辰妙見』とは、『北斗七星』をいうらしいのです。
とすれば、
『天の柄杓』で『河口湖』の水を汲む。
その水の流れる川が『柄杓流川』であると考えるのは自然であると思うのです。

『水雲山』。 都留市大幡方面にこれを祀った社が存在します。
三峠を祀った社であると思われます。

『三峠』は、『みづとうげ』と発音していた。
『水峠』と書かれることもあった。
『水雲山』とも呼ばれた。

三峠には、水に関わる信仰がありました。

ロッククライミングの行われている屏風岩には、
『清龍不動尊』が祀られていたといわれています。

クライマーの方たちが踏み台にしている岩の一つに
かすかな文字が残っています。

夢の跡。 時の流れとは、このこと。
無理に知る必要はありません。
元は、ただの石。
自然にかえっていくだけのことなのですから。

2007年5月26日土曜日

今日はい~い天気だ

三ッ峠駅に降りる登山者たち。 
どうぞ、どうぞ。
もらっていただいて、ありがとうございます。

どこのだれかは知らないけれど、
みなさんがそれぞれ家に帰って
何かを感じてください。

思い出。 
またいつか、思い出してください。

みづとうげと呼んでいた

以前は、『みづとうげ』と呼ばれていた。
いつのまにか、『みつとうげ』と呼ばれるようになってしまった。
では、『三ッ峠』と書かれるようになったのは、
いつのころからなのでしょうか?

2007年5月24日木曜日

『開運山』って、いつから呼んでいたのか

古文書には、『開運山』の名称は使われていない。 地名辞典には『開運山』の名称が使われているのに。