富士山北側の信仰では、
南の富士山は太陽信仰、
北の御坂山塊では北極星信仰としていた。
それらはどちらか一つではなく、双方を取り入れていた。
…と私は考えている。
三つ峠は富士山のオマケではない。
三つ峠は三つ峠そのものに意味が存在しているのである。
信仰という教科書を求めていたのではなく、
毎日の生活に必要なことが信仰とされていた時代。
三つ峠が、
御巣鷹山、木無山、開運山の総称などとはこの地に住む者は誰も信じていなかった。
何故なら、三つ峠そのものが三つの岩を持つ山であることを毎日見ているからである。
もちろん、水の山であることも知っている。
2010年3月9日火曜日
2010年2月27日土曜日
2010年2月21日日曜日
衆善奉行の碑と富士山
明治期の絵においても、衆善奉行の碑の向きは変わっていない。
この碑を拝むと、向こう 側に富士山が見えるのは偶然なのだろうか。
1850年頃に建てられたと思われる。 年代が読み取れない。
不 ニ山一乗寺の入り口。 寺の背後には、三つ峠がある。
2010年2月12日金曜日
三つ峠周辺の山の名前、伊能図より
2010年2月9日火曜日
2010年2月5日金曜日
2010年2月4日木曜日
伊能図の『仙湖』とは、三つ峠の歴史との関係は
伊能図の仙湖とは、西湖のことだったのですね。
甲斐国志の富士八海に西湖の記述がある。
西(せ)の海
古名、戔海と訓ず
今、西の字を用いるも音をとりてセノウミと言い、
今は、ニシノウミと言う。
戔 -> (せん) -> 仙
海 -> (うみ) -> 湖
河口湖を西湖と伊能測量隊に教えた方は誰なのでしょう?
三つ峠の歴史の中で「仙泉山」とも言われたとの情報源はどこにあるのだろう。
私もどこかに書いてしまっているような気がする。
もしそれが正しいとしても『仙湖』とは関係がないようである。
『せのうみ』とは、1000年前の富士山の噴火によって分断されてしまった
本栖湖と精進湖と西湖を一つとする巨大な湖のことである。
今日でも、西湖としてその名が残っていることにも発見があった。
1000年前に、三つ峠の山頂から富士山の樹海が火の海になっている姿を
どこかの誰かが見ていたに違いない。
甲斐国志の富士八海に西湖の記述がある。
西(せ)の海
古名、戔海と訓ず
今、西の字を用いるも音をとりてセノウミと言い、
今は、ニシノウミと言う。
戔 -> (せん) -> 仙
海 -> (うみ) -> 湖
河口湖を西湖と伊能測量隊に教えた方は誰なのでしょう?
三つ峠の歴史の中で「仙泉山」とも言われたとの情報源はどこにあるのだろう。
私もどこかに書いてしまっているような気がする。
もしそれが正しいとしても『仙湖』とは関係がないようである。
『せのうみ』とは、1000年前の富士山の噴火によって分断されてしまった
本栖湖と精進湖と西湖を一つとする巨大な湖のことである。
今日でも、西湖としてその名が残っていることにも発見があった。
1000年前に、三つ峠の山頂から富士山の樹海が火の海になっている姿を
どこかの誰かが見ていたに違いない。
2010年1月30日土曜日
三つ峠の三十三観音
2010年1月23日土曜日
甲斐国志から、三つ峠の由来をもう一度おさらい
三つ峠山
河口村分の八町山より峰続き東南1里あまり。
この山に至る峰は、奇岩峨々として、三峰に秀ず。
故に、三つ峠という。
岩上に小祠あり、三つ峠権現という。
また、船に似たる岩あり。
(船に似た岩は崩落したとのことで、現在ありません。岩上の小祠も今は存在しません。)
この件は多くの方が述べられていますが、三つ峠の基本となりますので再度記載しておきます。
三つ峠が富士山眺望のための高台ではないことも感じ取ってみてください。
信仰と岩との関係を感じてください。 御巣鷹山と木無山とは、性質が異なります。
三つ峠が開運の山であることを感じてみてください。
(かつて、私は古文書に記載がないことから開運山を否定していました。 しかし、そこは訂正いたします。)
河口村分の八町山より峰続き東南1里あまり。
この山に至る峰は、奇岩峨々として、三峰に秀ず。
故に、三つ峠という。
岩上に小祠あり、三つ峠権現という。
また、船に似たる岩あり。
(船に似た岩は崩落したとのことで、現在ありません。岩上の小祠も今は存在しません。)
この件は多くの方が述べられていますが、三つ峠の基本となりますので再度記載しておきます。
三つ峠が富士山眺望のための高台ではないことも感じ取ってみてください。
信仰と岩との関係を感じてください。 御巣鷹山と木無山とは、性質が異なります。
三つ峠が開運の山であることを感じてみてください。
(かつて、私は古文書に記載がないことから開運山を否定していました。 しかし、そこは訂正いたします。)
2010年1月16日土曜日
2010年1月9日土曜日
2008年5月16日金曜日
2007年12月7日金曜日
200年前、星野氏の石燈篭のこと
星野氏の石燈篭に刻まれている文字は、
『花﨑驛星野廣安獻石燈 一對格小沼諏訪祠』
『文化六年己巳七月』
とあります。
1809年のことですから、200年位前のこと。
不思議なことにこの石燈篭、
この町では石造物調査で紹介されたことがないのです。
ですから、何が刻まれているか知られていません。
では、どうして花咲村の方がこの地の神社に奉納したのか。
それは、そこに刻まれています。
大月市の方、西桂にいらっしゃることがありましたら、
ぜひ、ご覧になってみてください。
『花﨑驛星野廣安獻石燈 一對格小沼諏訪祠』
『文化六年己巳七月』
とあります。
1809年のことですから、200年位前のこと。
不思議なことにこの石燈篭、
この町では石造物調査で紹介されたことがないのです。
ですから、何が刻まれているか知られていません。
では、どうして花咲村の方がこの地の神社に奉納したのか。
それは、そこに刻まれています。
大月市の方、西桂にいらっしゃることがありましたら、
ぜひ、ご覧になってみてください。
登録:
投稿 (Atom)











