2007年9月30日日曜日

府戸尾根は下山道でした




『府戸尾根』は大沢(柄杓流川)に沿った尾根である。
大正、昭和初期の三つ峠登山の下山道となっていた。
三つ峠山頂を眺める絶好の場所であった。
『展望台』とも呼ばれる場所があったらしい。
府戸尾根を登りつめたところに三角点がある。

2007年9月28日金曜日

大久保の三角点


大久保と呼ばれる地名のもっとも高いところにある三角点。

2007年9月26日水曜日

『みずとうげ』または『みづとうげ』

『水峠』または『三峠』。 いづれにしても、『つ』が入らない。
これは、○○山、○○山、○○山の総称ではない。
三つ峠のもっとも重要なピークは『水雲山』。
三角点の置かれているところではない。
そうとしか思われない。

時代が通り過ぎた。
山頂を目指す登山が始まった。
三つ峠の山頂は『西峠』になった。
なぜか、そこを『開運山』と呼ぶようになった。

『府戸尾根』は大沢からの尾根のことだった。
この尾根を登り、三つ峠の西側をまき、八町峠を抜け、藤の木を結ぶ。
郡内と国中を結ぶコースの一つ。

三つ峠の東、大ダルの東のピークは『大久保山』ではなかった。
時代が通り過ぎてゆく。
山頂を目指す登山が始まった。
いつしか、そのように呼ばれるようになった。

三つ峠は、○○山、○○山、○○山を総称する呼び名となった。

三つ峠の『ほとけの沢』



三つ峠に『ほとけの沢』という所がある。
下暮地と大幡を結ぶかつての交易路である。
古い地図を見ると確かに道がある。
どうして沢沿いの道があったのだろうか?
今では、こんなに荒れていてとても歩けない。
尾根には歩きやすい道があるというのに。
『シャクナガレ川』の明治期の解釈には、
『釈迦流れ』と思われるものがある。
この沢沿いにあったと言われる寺の
ご本尊が土砂崩れにより流されたというのだ。

今では、誰も通ることのない道。
かつては重要な交易路で、多くの旅人が通り過ぎた道。
そこに、古い寺があったというのだ。

この不気味な沢、『ほとけの沢』に
『姥捨て伝説』がある。
現在の様子からでは、そのように感じられるかもしれない。
しかし、ここは交易路であったところである。
多くの人々が行き交った道。
姥捨て伝説の話は、人々の姿がなくなってから発生したに違いないと思われる。
『ほとけの沢』、これは寺があったことに由来する。

2007年9月25日火曜日

元山の神とだるま石(2)

と言っても、ここの場所は悪い。
沢と沢が合流している所なのだ。
かつて、このあたりが三ッ峠登山道になったことがあるらしい。


この位置から少し上がったところに、
登山案内と思われる板を飲み込んでいる木がある。
沢沿いを『神鈴瀧』まで登り、馬返しに出るコースがあったらしい。
しかしこのコースは、現在の北口登山道のように
無理に、瀧を見せるために作られたものと思われる。

2007年9月24日月曜日

元山の神とだるま石


元山の神をしばらく進むと、東峠の水雲山と神鈴権現を祀る中峠が見える。
『だるま石は移動されてきた』との説があるのだが、
山頂を見渡せるここらあたりに、何かがあってもよさそうな気がする。
では、どうして山頂を見渡せない現在の場所が選ばれたのだろう?
元山の神は、現在の登山ルートからは外れているし。
山頂を目指さない者たちは、山頂を眺める必要がなかったのだろうか?

2007年9月23日日曜日

だるま石までの楽しみ




グリーンセンター、山祗神社からだるま石まで歩きます。

頂上を目指そうとすると、少しでも車で奥に行きたくなります。
この道を通り過ぎてしまうことになります。
だるま石まで、大沢(柄杓流川)に沿って歩きます。
この道を歩いていると、いろんな声が耳に入ります。
水、小鳥、虫。 
うっかり、うっかり、通り過ぎてきました。
車に乗っていると味わえません。

松林。 いつしかこの姿も変わってしまうかもしれません。
都留の方では枯れてしまっているのが目立ちます。
いつしかここも変わってしまうかもしれません。
今この時代を楽しむことが贅沢かもしれません。

水の音が聞こえます。
小鳥のさえずりが聞こえてきます。
虫の音が聞こえてきます。

上に行っては味わえないものが、
ここにはあります。
だるま石までの楽しみです。

2007年9月18日火曜日

久しぶりの散歩

このところ、ビラ配りはしていません。
当分の間、しないかもしれません。

ひさしぶりに歩いてみました。
だるま石までですが。
ここまでを歩いている方が何人かいます。
私もその一人になってみようと思いました。

このところの雨で、三ッ峠の道も荒れているかもしれません。
だるま石のところも、水で削られているところがありました。
上の方ではどうでしょう?

当分の間、ここまでを歩いてみることにします。
上を眺めながら、歩いてみることにします。

バイカモ(梅花藻)

柄杓流川にバイカモがあるらしいのですが、どこにあるのか知りません。
数見川(中野川、欄干川)には確認しています。
田んぼの用水のところにありました。上流では、富士山の伏流水が注いでいます。
夏狩の湧き水のところにもありました。
富士山から湧き出すのは、どういうわけか15℃くらい。
富士山のまわりをぐるっと『梅花藻』の花が咲いているのでしょうか?

2007年9月17日月曜日

桂川のバイカモ



桂川には、富士山からの伏流水がいたるところから
流れ込んできます。
この桂川にも、『梅花藻』の花が咲いています。

どうして水の中に花が咲くのでしょうか?
ここらあたりも、かつて護岸工事をして消えていたはず。

ここにたどり着いて、根を着けて、育っています。
バイカモの花が咲いています。

15℃の水でしか、育たないのでしょうか? 
このバイカモは、上流のどこから存在するのでしょうか?
上流では、鹿留の発電所へ水が分岐しています。
伏流水の率が高くなってから、咲くようになったのでしょうか?

バイカモの花が咲いています。
あまり話題にもならずに咲いています。
花はユラユラと水の中で踊っています。
この花は、どうして水の中で咲いているのでしょう。

桂川にバイカモの花が咲いているのです。

2007年9月13日木曜日

倉見山の障子岩と『大岩大権現』



倉見山に『障子岩』と呼ばれる岩があります。
この岩の上に祭られているのが『大岩大権現』。

他に何も刻まれていませんので、年代も判りません。
倉見山頂へは、まだまだあります。
かつては、ここまでお参りに来ていたのでしょうか?

2007年9月10日月曜日

案内板の『仙泉山』


『仙泉山』とも言われているとしている。

河口湖は、かつて『仙湖』と呼ばれていた。
三つ峠山が水を吸い上げているとの言い伝えがある。

『仙湖』の水を吸い上げる山が『仙泉山』。
『柄杓』が通り抜けて柄杓流川。

やはり、『天の柄杓』がないと説明がつかない。

2007年9月9日日曜日

東の尾根


三つ峠の東の尾根です。
湯ノ沢の送電線鉄塔のあたりから、急傾斜になります。
手前の尾根は、金峰山に続く尾根。
磁石がちっとも狂わない尾根です。

2007年9月8日土曜日

里の祭り


小沼上町大神宮の祭り。
この地区から見れば、三つ峠山と倉見山しかない。
三つ峠を意識していないはずはない。
この隣にある上手宮浅間神社境内には、
空胎上人の水修行の場がある。
大神宮だって、
三つ峠を意識してないはずはない。

と思うのですが…。


水、水、水。

2007年9月7日金曜日

台風が通り過ぎました

台風が通り過ぎました。
急勾配の山に囲まれています。
『北斗七星』に恐れを抱いていたのでしょうか?

水に対して、どんなふうに感じていたのでしょう?

2007年9月6日木曜日

北斗七星の信仰の三つ峠

三つ峠に『北斗七星』が沈む季節になりました。
そして、雨、雨、雨。
台風もやって来ます。

三つ峠の沢に水があふれます。
『柄杓流』の川も氾濫してしまいます。

祖先たちは、これらをどのように感じていたのでしょう?

『三つ峠』と『北斗七星』と『柄杓流川』。
これらに、何らかの関係があるはずです。

2007年9月2日日曜日

三つ峠山と荼吉尼天(だきにてん)

『荼吉尼天(だきにてん)曼荼羅』というものがある。
荼吉尼天の上方にに『北斗七星』が描かれている。

こんなふうに、『三つ峠』と『北斗七星』を見ていたのであろうか?