2008年2月26日火曜日

神鈴権現尾根の始まる所





大沢(柄杓流川)の様子です。
神鈴権現の尾根は、ここから始まります。
里の姿が見えています。
沢の上流は、さらに奥。
今回も、ここまでとしました。退散。

2008年2月13日水曜日

三つ峠は阿弥陀三尊2(穴観音と呼ばれる理由)




















勢至菩薩と水瓶の関係なのだろうか、『清滝不動』が描かれている。
観音菩薩ということだろうか、長く『穴観音』と呼ばれ続けている。
浄土へ導く『御船石』は、神鈴権現社のすぐ上にあったのだろう。
『東照宮』は白雲荘跡の裏手の岩屋のことだろう。
妙具谷の2本の突起、絵図ほどはっきりしたものではない。
後に『夫婦岩』と呼ばれたものなのだろう。

200年近く前の絵図から見えてくるもの、三つ峠への人々の思い。

2008年2月12日火曜日

三ッ峠と金峰山と小沼浅間神社の関係-2

三ッ峠という阿弥陀如来を小沼浅間神社から拝む。
すると、間にあるのが『金峰山』である。

小沼浅間神社には、空胎上人の水修行の場がある。
富士山だけでなく、三ッ峠の信仰に深く関わりがあるはずである。

『金峰山』は、三ッ峠へと尾根である。
ここから登れば、三ッ峠山頂への道は簡単に登れる。
しかし、人々は山頂を目指すものではなかった!
『金峰山』は、信仰のルートではない。
その位置関係のみによって付けられた名称なのである。
したがって、金峰山には遺物はない。

…というような考えを持っている。

三ッ峠と金峰山と小沼浅間神社の関係


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2008年2月11日月曜日

三つ峠への疑問

ここのところ、雪、雪、雪。
三つ峠は、眺めている。
『この時間の三つ峠、ここから見ると美しい』と思うところも
あるのだが、通勤途中の車中。


ここのところ三つ峠について不思議に思うことがある。
三つ峠への登山は、もっと楽な道があるはずなのに
『なぜ、困難なあの道が登山道なのか?』というものだ。

単に、山頂に立つことが目的ならば
もっと楽に登る道となるべきルートが存在する。
下暮地からの登山道は、決して楽な道ではない。
この道にだけ、遺物が存在している。
何故に、ここにだけ?



三つ峠への道は、この道を登らなければならない理由があったはずなのである。
それは、…。
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