2007年10月31日水曜日

三つ峠の地層(2)



三つ峠に『内ウ子(うちうね)』と呼ばれる小字(こあざ)がある。
ここにも、『屏風岩』と呼ばれる岩がある。
三つ峠の山頂方向から続いてくるとみられる地層がよく見える。

冬のシーズンになり三つ峠を眺めると、なんとなく縞が見えるようなきがする。

柄杓流川をだるま石に進むと、山頂方向に対し沈み込んでいるように
地層面があるらしい。

三つ峠の尾根に平らな場所が何箇所かある。
『馬返し』もその場所だ。

あの尾根と、この尾根、それらに何か意味があるような気もする。
私には、分析するだけの知識がない。
三つ峠の構造がわかると、
三つ峠も、もっと面白くなりそうな気がする。

2007年10月27日土曜日

三つ峠の地層








新・神鈴の滝の上の沢沿いを歩いてみた。
露頭と言われるところが何箇所かあった。
ほとんどは、ごろごろ、大きな岩が、ゴロゴロ。
しばらく進めば、堰堤。
まいて、まいて、進んでみる。
だるま石より、ずっと下で東沢と柄杓流の本沢とに分かれる。
本沢を進む。沢の脇には、古い山道が残っている。
そのまま進んでしまうと、だるま石を通り過ぎてしまう。

古いだるま石への道は、
後戻りしなければならなかったのだろうか?

三つ峠が800m、900m付近から急に勾配が変わることを
ずっと、不思議に思っていた。
その理由は説明できるらしい。

岩石を判断する力も、地層を見る力もない自分。
人気の少ない三つ峠への道だった。 雨の中。

2007年10月21日日曜日

海底にあった三つ峠の山







富士山ができるもっと、もっと昔のこと。
三つ峠は海の底。
伊豆半島が押し寄せてきて、丹沢の山塊。
三つ峠もしわになって山となる。

いたるところに海底の証拠があって、
柄杓流の岩肌に見られるという。
化石の層もある。

午前中、だるま石までいつもの散歩。
帰り道で、地質研究のグループに遭遇。
午後は、この方を追いかけてもう一度、登り始める。

現在は、大月に向かって水が流れる。
富士山のない昔の昔、
大月方面からこちらへと
土砂が流れていた証拠がわかってしまうというのだ。

三つ峠の山頂を目指していたころ、
登山道の岩を見ていて、不思議に思ったことがある。
どうみてもコンクリートの塊のような玉砂利の岩が、
どうしてこんなところにあるのだろうと。
この玉砂利の色、大きさ、向きに
いろんなメッセージがあるのだという。
三つ峠の山の中には、いろんな世界があるらしい。

午前中に、山頂を目指したグループが下山で再開。
顔の岩が、顔に見えたと言っていた。

柄杓の流れる川は、不思議な川で、いろんな出会いがある。
三つ峠を眺めると、なおさら、感じるものがこみ上げてくる。
山頂を目指すもよし、途中で引き返すもよし。

今日は、ここを2往復してしまった。

2007年10月20日土曜日

秋、陽だまりの中で、三つ峠


秋。 秋、陽だまり。 今日は、少々、暖かい日差し。

秋の日差しの中で。



木無、開運、御巣鷹。 あまりに有名になったこの言葉。

三つ峠のミッツの峰を、これと勘違いされている方もいるようです。

「ミッツの峰は、どれが木無、開運、御巣鷹?」
ミッツの峰は、どれも木無、開運、御巣鷹ではありません。
ミッツの峰が三つ峠そのものなのですから。
三つ峠の岩肌が目立ちはじめました。
山の色が変わってきました。
秋、秋の三つ峠です。

2007年10月14日日曜日

神鈴の滝




虫の声が聞こえる。
鳥の声が聞こえる。
水の音が聞こえる。
あの場所を通ると、松の香りが漂う。空気のかたまり。

神鈴の滝。
登山道脇にできたわずかな遊歩道がある。
古い神鈴の滝とは、あしだが谷(こうもり沢)にある。
考えてみれば、そちらも登山道脇の道であった。

新しい神鈴の滝も、同じ理由でできたと言っても良いかもしれない。
新しい時代に、新しく。
古い時代のそれは、古く。

それも良いかもしれない。
何もむきになる必要はないのかも。
何をむきになっていたのだろう。
どうして、こだわる必要があるのだろう。

あそこにあるのが古いもので、
こちらにあるのが新しいもの。
古く、古く、新しく、新しく。
三つ峠の古いものと、新しいもの。

虫の声が聞こえる。
鳥の声が聞こえる。
水の音が聞こえる。
あの場所を通ると、松の香りが漂う。空気のかたまり。

無心になって、歩いてみる。

2007年10月13日土曜日

三つ峠が三つ峠でない姿


里から眺める三つ峠の形は、
少し移動すると変わってしまいます。
三つ峠が三つ峠の形であるためには、
三つ峠を生活の一部としていた里の住民が見たものであったはずです。

だるま石までの道は、確かによくなりました。
だるま石まで自動車は通り抜けていってしまいます。
しかし、だるま石からではその形がよく見えません。
だるま石のほんの少し手前に、憩いの森があります。
ここから見る三つ峠は見事です。
これこそ、三つ峠だと思われる姿です。

三つ峠のこの姿を見上げる時、
木無山、開運山、御巣鷹山を連想することはありません。
しかし、この姿をそれらであると勘違いされている方がいるようです。
三つ峠。三つ峠そのものがこの姿なのです。
この地の里の住民が見た三つ峠、
これが三つ峠の姿であったはずです。

いってらっしゃい、山頂まで。
私は、ここまで。 
三つ峠を眺めるだけの楽しみ。

少しずつ、そしてもう少し


夏の雨でえぐられてしまったところだ。
少しずつ、少しずつ、埋めてみた。
やっとここまできたところだ。
もう少し、もう少しで何とかなりそうだ。

そのうち誰かが何とかするでしょうと思っていた。
いつまでたっても変わらなかった。
誰かとは、誰だろう。
誰かとは、自分でしかありえない。
何とかなって、何もなかったかのようになれば
しめたものだ。

少しずつ、少しずつ、石で埋めていく。
もう少し、もう少しで…。
夏の日の傷跡。

今日も、ここまで歩いて引き返す。
山頂が眺められるのは、ここまでだ。
歩いて、歩いて、この場所まで。
だるま石は、なぜこの場所にある必要があるのか?
この場所でなければならない理由は何なのか?
ここまで歩いて引き返す。

ここまで歩いてこなければ、
その理由を感じることができないのである。

2007年10月12日金曜日

解説『三つ峠』あり


『近代では…』と書かれている。三つの峰。
近代とは、いつごろのことを言っているのだろう?

『標高一七八七米。…交通路に当ったため…』
と書かれてしまうと、山頂への登山道が交通路になっていたように誤解されてしまう。
山頂直下の道をわざわざ通ることは、決してない。
楽な近道は、府戸尾の尾根を登り三つ峠をまいて八町峠へと向かうのである。

木無山、御巣鷹山、開運山を三ッ峠と呼ぶというのは、
ここに書かれているように、近代になって呼ぶようにしたのであろう。
では、誰が、なぜ??

白糸の滝から三つ峠へ



上暮地に口論橋と呼ぶ橋がある。
ここに三つ峠山への道標がある。

『蚕影神社 白糸瀧入口』

『従是白糸滝へ拾八町二十間
 滝ヨリ三ッ峠マデ約一里十八町』

『大正十三年十月建之』

と刻まれている。

今では、白糸の滝の上にはわずかに道が見られるが
その先はところどころに道跡が見られるだけである。
いつのまにか道がなくなり、同じところを歩くのは難しい。

かつて、
『河口湖へ降りるつもりが、白糸の滝に降りてしまった』という話を聞いた。
三つ峠から河口湖天上山へ向かう道を歩くと
クランクになっているところがある。
実はここが白糸の滝への降り口だったのだ。
今では、ヤブになっているので間違えることはない。

2007年10月10日水曜日

西峠、総本社、東峠

開運山は、いつごろから呼ばれたのだろう?
三峠を木無山(けなしやま)、三つ峠山頂、御巣鷹山とする場合、
その山を見渡せる場所がない。
どこに住む者たちが山の命名をしたのか?

倉見、小沼、下暮地、上暮地の各部落から見える
西峠、総本社、東峠の三つ峠山。
西峠の山頂に立った方たちは、総本社、東峠に気付く者は少ない。

三峠は、山頂に立った者たちが命名したものか?
三峠は、里から眺めた者たちが命名したものか?

開運山を、いつごろから呼ばれるようになったのだろう?
開運山と書かれている古文書が存在するのだろうか?

以前、紹介した不思議な案内図。
三つ峠駅前とだるま石に同じものが置かれている。
この不思議な図は、なぜ描かれたのか?
この図に疑問を持った者はいなかったのか?

2007年10月9日火曜日

三つ峠の馬返し


中央左の背の低い松の上。
三つ峠の『馬返し』。
ほぼ毎日、そこまで行かれる方がいるらしい。
30年続けているという。
私の場合、とりあえず『だるま石』までを目指している。
ここのところ、この道でよく出会う方に出会わない。
昨日は、水音よりも風の音。
時折、松の香りの塊が通り過ぎる。
小鳥たちは、何やら騒いでいるのか
しっかりした声が聞こえていた。

あの尾根。あの雲の中に八十八大師。
ねぇねぇ、三つ峠。
三つ峠を眺めるだけの歩きだって
あっていいんじゃないか。
眺めることなく、尾根に入ってしまうなんて
残念なことだ。

2007年10月8日月曜日

今朝の天気は



今日の八十八大師は、雲の中。
風の音が沢の音より大きくて、
雨も降り出した。
いつのまにか静かになって、
お昼の頃には晴れだした。

2007年10月7日日曜日

秋、そろそろ夕暮れの三つ峠



そろそろ夕暮れの三つ峠。
今日の登山は、どうでしたでしょうか?

湯ノ沢から登る東の尾根に、小さなピークがあります。
ここに何かあるのではと思ったことがありました。
そこに行っても何もありません。
少し過ぎると、ほんのちょっとよじ登るところに来ます。
登るにはよいのですが、下るとなるとちょっとと思われます。
しばらく進むと、馬の背中です。
意外と平坦な道を進むことになります。
以前歩いたときには、イノシシの掘り起こしたところが
いたるところにあり、平坦なのに歩くのに苦労しました。

日が暮れていきます。 空はもう秋。
三つ峠も、そろそろ夕暮れです。
家路に向かっている方々、
今日の登山は、いかがでしたでしょうか?

私は、本日、股のぞきまでしか行っていませんが。
三つ峠には、いろんな楽しみ方がある。
山頂に立つ必要のない楽しみがある。
山頂も良し、山中も良し。
富士を眺めるも良し。
人に会うのは、さらに良し。

ひさしぶりの『股のぞき』


山祗神社から歩く。久しぶりにビラ配り。
歩きながら配っている。
さくら公園を越え、憩いの森も越えて。
だるま石の予定が股のぞきまで。
久しぶりに股のぞき。

久しぶりに三つ峠を眺める。
久しぶりにここを歩いて。
久しぶりに幾人かの方とおしゃべり。
ここは、股のぞき。
今日は、ここで引き返す。

久しぶりの久しぶり。
ここは『股のぞき』。
なぜ、ここが股のぞきなのか?
ここが股のぞき。
だから、『股のぞき』。
三つ峠には、富士の山がよく似合う。

これは?
あたりまえの事に答えられなかった。
あたりまえだと思って答えなかった。
これは?
『富士のお山』。
考えさせていただきました。
三つ峠に登って、一度も富士を見たことがないと言っていた方。
今日の富士は、どうでしたか?
三つ峠の山には、富士がよく似合う。

里から三つ峠を眺めると、
山の色も変わってきました。

2007年10月2日火曜日

正直言って…

正直言って、どうすればようのだろう。
正直言って、困っている。
どうしようもない、がんじがらめ。
正直言って、伝える人もいない。