2008年3月24日月曜日

三つ峠の『だるま石』


橋を渡ると、『だるま石』です。
杉林の中にあります。
下流方向に木がなければ、
御正体山が見えます。

三つ峠と御正体山、
どんな関係にあるのでしょうか?

標高900mあたり、
沢つたいの道は、ここまで。
いよいよ、尾根道となります。
三つ峠の傾斜が急に変わる地点です。

がんばってください。
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2008年3月19日水曜日

ひしゃくと三つ峠とお彼岸と



お空に、七つの星がある。

お山は、三つに飛び出てる。

ひしゃくの星が、回ってる。

お山をめさして、回ってる。

ひしゃくの星が、なくなると、

山から、お水が流れ出す。

ひしゃくと三つ峠とお彼岸と。


人々は、この地を選んだ。
人々は、この地に住み着いた。
『柄杓流』と命名した。

私は、この地を選んだ。
今、私はここのいる。 わが町、西桂。

2008年3月17日月曜日

三つ峠と『お彼岸』


お彼岸の朝日が昇る。
この参道の方向に、日が昇る。
倉見の山に、日の光。
光は、鳥居をぐくり抜ける。

上町、浅間神社。
ここは、空胎上人の水修行の場。
三つ峠との深い関わり。

お彼岸と三つ峠。
柄杓の星が、東に立つ季節。
この鳥居を、太陽がくぐりぬける日。
お彼岸がやってきたしるし。




面白いと思う。 倉見山のちょっと平らになった肩のところから、太陽が顔を出す。
そこに行ってみると、けっこうな平らなところ。
そこで何かの『儀式』が行われたように平らなのである。
しかし、しかし、そこには何もない。 それらしいものは、見当たらない。
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2008年3月16日日曜日

三つ峠の沢



三つ峠の沢です。

ここのところ、体調をくずし、三つ峠への散歩は、お休み。
お彼岸の季節。

この時期を知る必要性があったのです。
『柄杓の星』が東の空に立つ季節。
小沼上町、浅間神社の鳥居に朝日が射す季節。
お彼岸の季節です。

呪いやタタリの季節では、ありません。
今、ここに自分がいるという事実。
先祖がいるから自分がいるという事実。
宇宙の中の原子の塊。
小さな塊の中に魂。
そこには、呪いやタタリなどという考えは、
なかったはずです。
先祖と私。 私と私以外の人たち。
今ここに共に生きているという不思議な縁。
三つ峠は、それらを見つめる山なのです。
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2008年3月9日日曜日

三つ峠と北斗七星と柄杓流川


この時期に北斗七星に注目したい。
夕暮れにすでに北斗七星が立っている。
北斗七星から北極星、それをたどっていくと
そこには、三つ峠がある。
北斗七星は、一晩中見えるのである。
一晩かかって、三つ峠へと向かっていくのだ。

北斗七星が三つ峠に向かって進んでいく。
三つ峠に沈んでいく。
三つ峠から水が流れる。
『柄杓流』と呼ばれる川になって。

もちろん、これをどこから眺めるかが問題なのだ。
空胎上人が水修行を行ったとされる上町浅間神社。

この神社は、本殿に向かう参道が『く』の字に
曲がっている。
この時期(春分の前、啓蟄あたり)には、
鳥居の方向と日の出の方向が一致する。
古文書には書かれていない。
しかし、何か因果関係があるはずだと思えてならない。
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2008年3月4日火曜日

三つ峠の金峰山


金峰山(きんぼうやま)を三つ峠登山道から見る。

目の前にあるのが、この山である。
しかし、この山の尾根は三つ峠から
ずいぶん離れている。
金峰山づたいに三つ峠に登るのは
遠回りである。

金峰山が、信仰のルートのようには思えない。
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2008年3月3日月曜日

三つ峠の凍った滝



凍った滝は、ここにある。
絵図に記載されている『神鈴瀧』である。
遊歩道のある『神鈴の滝』ではない。

馬返しから滝へと通じる道は、ところどころ崩れている。
この近辺にも、遺物があってよさそうなものだが
それらしものは、見つかっていない。
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2008年3月2日日曜日

府戸尾根から三つ峠


かつての国中(甲府盆地)への交易路。
府戸尾根より三つ峠を望む。

絵図にも記されている滝は、凍っている。
山頂を目指すのなら、いくらも道がある。
神鈴権現に行くのなら、直登の尾根がある。
なぜ、現在の登山道が選ばれたのだろう?
そこにだけある石像物。
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2008年3月1日土曜日

大沢(柄杓流川)がよく見えるところ


倉見、境方向
から大沢(柄杓流川)がよく見える。
向こうから見るとやぶの中でよく見えない。
『だるま石』は、なぜあそこに置かれたのだろう?
こちらから見れば、そこが良いのだけれど、
あちらにいたのでは、そこで良いのかわからない。

いったい、昔の人は何を感じ、
何を思っていたのだろう。
もっと、いろんな道があるのに
あの道を選んだのだろうか?

三つ峠は単独で三峰。 御巣鷹山は、この山の向こう側で見ることができません。
木無山は、ピークとして見ることはできません。
『開運山』と呼ばれるところは、三つ峠の左側のピーク。
三つ峠の信仰の中心ではありませんでした。
では、『開運山』と呼ばれるようになったのは、いったいいつからなのでしょうか?
三つ峠が三峰でなくなっていく歴史。 その起源。

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