2011年3月30日水曜日

寄り添いあって

心細いときには、寄り添い合って。
お互いが励まし合って。
それぞれが各々の役割を果たす。

春はやってくる。
暖かな季節がくる。
芽が吹き出して、様々な花を見せてくれる。

2011年3月23日水曜日

見えぬ三ツ峠

できることは何か。
悲しんでばかりはいられない。
未来に向かうことも必要だ。
いろんな役割の人々がそれぞれの分担をする。

ケータイがないことを非難された。
TVがないことを非難された。
我が家にないことを。

だけどケータイやTVを得ることで
失っていないものが我が家にはある。

見えぬ向こうにある三ツ峠の本当の姿。
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2011年3月20日日曜日

逆さ三ツ峠

どこを見るか、何を見るか。
それによって逆さまにもなる。

落ち込んでばかりいては悲しい。
出来る範囲のことだけを行う。
それでも「よく頑張ったネ」と自分に言ってあげる。

無理に悲しんではいない。
普通に生きてみる。
普通に笑って。

落ち込んでばかりいては悲しい。
どこを見るかで気持ちが変わる。
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2011年3月11日金曜日

十日市場から小沼へ

谷村で三ツ峠は見える。
十日市場を過ぎ小沼に入る。
富士講の行者たちは目の前には偉大な富士の山。
そこでの三ツ峠の姿である。
三ツ峠の脇を歩く行者たち。
三つの岩のコブ。
何も感じないわけがない。
富士の山に近づくにつれ、
三ツ峠の様相も変わる。
さらに日差しの変化が加わる。

富士山を眺め場所はいたるところにある。
三ツ峠からの富士山は、三ツ峠であることに意味がある。
三ツ峠とはそういう山なのである。(ハズだ…と思う)
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2011年3月9日水曜日

富士吉田鐘山からの三ツ峠

ちょうど日の当たらない時間。
先ほどまでは見事だったのに残念。

鐘山辺りを通るときに、いつも感動する。
平山往還を歩く人々も同じ光景を目にしたはず。

富士山がある。
さらに三ツ峠がある。

この感覚。
眺めるも良し、登るも良し。
これが三ツ峠なのだ。
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2011年3月6日日曜日

吉田城山からの三ツ峠

一日中ずっと眺めていたい。
表情が変わっていく三ツ峠の岩。
三ツ峠は大して高くないくせに、どうどうと富士山に対抗する。

この三ツ峠の姿を200年前、300年前の人々が何も感じないわけがない。
あまりに当たり前のこと。
当たり前すぎることに何故気がつかないのだろう。
不思議すぎる。
一日中ずっと眺めていたい、三ツ峠の山。

2011年3月5日土曜日

上暮地からの三ツ峠

上暮地からの三ツ峠を久しぶりに見たいと思った。
屏風岩の面が少しは見えるからである。
 裏道からの登山者は屏風岩しか見ていないからである。
屏風岩に陽が射す頃には、尾根のシワが見えなくなってしまう。
夕暮れの三ツ峠がなかなか良いのであるが、その時間に写真を撮りたくても出歩けない。

裏口からの三ツ峠では残りの二つの岩は見えていない。

2011年3月2日水曜日

黒駒の三ツ峠

御坂を越えることは正直あまりない。
しかし、越えたときには寄っていくK商店。
おばあちゃんに会うの楽しみで。
質問をするとおじいちゃんを呼びに行く。
二宮のG先生を訪ねろというので会いに行く。
いきなりではあったけど、喜んでもらえた。
補聴器の調子が良くないと言ってたけど。

御坂を越えることはあまりない。
しかし、峠の向こうも結構面白い。
人がいて、人がつながって。
 どうして道は新しくなって足速に通り抜けてしまうのだろう。新しい時代。