2008年11月30日日曜日

やはり三つ峠

やはり、三つ峠が良い。

登って良し。 眺めて良し。

ここから見る三つ峠が、

三つ飛び出していて良い。

この姿を、何人の登山者たちが

眺めているのだろう?

眺めてから登るのが良い。

八十八大師へと伸びる尾根。

登ってから眺めるのが良い、三つ峠という山。

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2008年11月17日月曜日

雲の中の三つ峠


休みになっても、天気が悪い。

雲の合間に、三つ峠が見えていました。
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2008年11月10日月曜日

三つ峠の沢から見えるもの


大沢に入ると、振り返り見えるものは、御正体山なのだ。

これが、どうしてこうなのか不思議でならない。

山の上に登ってしまえば、あの山この山と

いくつも見える山並。

だるま石が現在の場所ではなく、

三つ峠の山頂が見える場所に置かれていたとしたら、

そこからも御正体山が見えていたはず。

三つ峠と御正体山。 これをつなぐ深い関係は、あったのか。
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2008年11月8日土曜日

明治の三つ峠

明治の地図、そこに描かれている登山ルートは、八十八大師まで。
神鈴権現も屏風岩下も古くお参りされていたのですから、道はあったはず。
この地図には、描かれていません。
山頂へのルートもありません。
境界線だけがあるだけです。
神鈴権現は、今でも5月5日に参拝が行われています。
どうして、八十八大師までのルートになったのでしょう。
三つ峠は南面が岩場になっています。
傾斜も南面がストンと落ちていて急です。
信仰には、岩場が必要でした。
そして、それを眺める集落が必要でした。
南面から見る三つ峠が三つ峠であったのです。

明治の地図、三つ峠


明治時代の地図である。

三ッ峠山。 ここには、『ッ』の文字が入っていた。

中央部に三点のピーク。 三つ峠そのもの。

上に離れているピークは、御巣鷹山。

左にかなり平坦なピークが木無山。

三峠には、『つ』の場合と『ず』の場合は、

かなり前より両方が使われていた。

しかし、御巣鷹山と木無山を含むことは、

近くから見つめていると、やはり納得できない。
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どこから見るか三つ峠


どこから見ても三つ峠なのだ。

しかし、形が違う。

世の中というのも、このようなものだろうか。

ああであると言えば、そうではないと言う。

問題は、どこから見ているのかなのか。

同じ位置から見て、どうなのか。

位置を変えてみて、どうなのか。

富士山があっての三つ峠であるのも事実。

でも、三つ峠は三つ峠なのである。
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古宮さんから三つ峠


向原に抜ける手前に、もう一度戻る。

先に紹介した大明見古宮。

古くは、この地に集落があったという。

理由はわからないが、集落も神社も移転された。

右の橋を渡ると古宮がある。

南北朝とか天皇がとかの伝説。

石室のようなものが出てきたが、

手を加えてしまったため、調査がされなかたという話。

日向という地名があったり、天の岩戸と呼ばれる岩場もあるという。

この道は、不動湯、杓子山登山をする方が通る道。 この地から富士山は見えない。 三つ峠は見えるのだ。
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2008年11月7日金曜日

向原から三つ峠


明見湖へ抜けるまえの三つ峠だ。

古原、向原の町並。

三つ峠は三つ峠。

ひときわ目立つ岩場の山。

低い山ではないが、高い山とも言えない山。

ここに岩場があり、三つに飛び出る峰がある。

この古道を歩いた人々。

この人たちと三つ峠の関係は、何だろう。
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大明見古宮からの三つ峠


鳥居地峠を越え大明見古宮に。

ここからも三つ峠が良く見える。

ここからは、富士山は見えない。

正面、三つ峠の下に見えるくぼみが古道。

登り口には、明見山福善寺があったところだと言う。

くぼみを越えると、明見湖があるのだ。

常に三つ峠がある。

旅人の思いは、三つ峠にあったはずだ。
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三つ峠と呼べる場所


三つ峠が三つ峠と呼べる場所。

そういう場所から眺めてみたい。

三つ峠が三つ峠と呼べる場所。

確かに、富士山は偉大だ。

けれど、三つ峠は富士山を眺めるだけの

展望台ではない。

三つ峠は三つ峠だ。

三つ峠が三つ峠と呼べる場所を探している。
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鳥居地峠からの三つ峠


忍野と大明見を結ぶ古い街道。

鳥居地峠だ。

古い地図には、『鳥打峠』ともある。

この峠を上に立つと、三つ峠が見えてくるのだ。

目の前に岩場の山。

この姿を見た旅人たち。

三つ峠は、特別な山だ。

富士山が太陽なら、三つ峠は月。
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2008年11月3日月曜日

ふれあいサロン三つ峠


『ふれあいサロン三つ峠』が開設された。

三つ峠に登られる方とお話をしたとき、

パンフレットや地図はないかと問い返された。

このふれあいサロン三つ峠に置かれているようである。

駅を降り、ほんの少し歩くとサロンがある。

登山をされる前、された後でも、

ちょっとだけ休憩されてはいかが。

出入り自由の休憩の場。 西桂町の施設。
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2008年11月2日日曜日

みつとうげと呼ばれていたのか

『三ツ峠』と書かれている江戸期の絵図は、存在する。
では、『みつとうげ』と呼ばれていたのか?
どうも、『みつとうげ』とも『みずとうげ』とも呼ばれていたらしい。
したがって、どちらも正しいのだ。

御巣鷹、開運山、木無山が『三つ峠』なのか?
それを眺められる場所は、限られている。
しかし、そう呼ぶ人々もいた。

麓に住む人たちは、三つ峠単独の形状から、
そのものを『三つ峠(水峠)』とよんでいた。

どちらが正しいのか?
どちらも正しい。
どうも世の中の様々な考えには、どちらも正しい場合があるようだ。

私は、こちらが正しいとの考えばかりで見ていた。
どうでもよいことだと言えば、それまでなのだが。

富士山を眺めるために、三つ峠に登る人たち。
三つ峠の岩場に近づこうとして、三つ峠に登る人たち。

この両方の目的を達することのできる、古道、『府戸尾の尾根』。
その中間地点になだらかな場所がある。
富士山も眺められるし、三つ峠の岩場も迫って見える。
三つ峠の数々の滝も見える。
その場所に、何かが存在したのではないか?
そこには、石造物などは見つかっていない。
大正、昭和初期には、展望台がおかれていた場所。
今では、雑木林の中。

もう一度、訪ねてみたいと思っている。

2008年11月1日土曜日

三つ峠を眺める者たち


富士山を目指した者たちは、 富士吉田へ降りれば、

三つ峠を正面に見る。

屏風岩がくっきり見える。

この特異な山を、意識しなかったはずはない。

目の前の岩場の山。

三つ峠を登るものたちは、富士山を意識した。

富士山を登るものたちは、三つ峠を意識した。

しかし、三つ峠を見る形は、違っていた。

御巣鷹山、木無山を意識したのは、富士講の人たちだったに違いない。
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三つ峠の御丈岩のこと

だるま石にある解説板によれば、

だるま石が『御丈岩』であるという。

だるま石の下に七畳の岩があったという。

『ごじょう』の岩であるのだから、

『五畳』の広さではないのだろうか?

絵図からみると、元山神より奥に描かれているように見える。

とすると、やはり山頂が見える位置、

すなわち、現在の堰堤付近にあったのかもしれない。

『割石社』が手前にあるのも不思議だ。

石割権現社は、馬返しより上の岩の裂け目にあるのに。

御丈岩が移動されたとすると、 この絵図より後のこと? 空胎上人一門によって? 

現在に位置に運ばれた後、大日如来を表す『アーク』の梵字が彫られた。

麓にある胎蔵界、山頂にある金剛界。

これらが対になっている大日如来の山。 これが三つ峠だ!


三つ峠の大沢

大沢を進んでみた。

大沢とは、柄杓流川の源流のことである。

山の神を過ぎると、三つ峠の山頂が見えてくる。

堰堤まで来ると、みっつのピークが一望できる。

だるま石は、かつて別の場所にあったという話がある。

とすると、その場所にあったほうが都合がよいのではないか。

沢の出会いであり、危険な場所でもある。

あっちの沢と、こっちの沢から岩がごろごろ。

そんなことで、現在の場所に移動されたのだろうか。

神鈴権現の尾根までは、道らしきものはあるのだが、

その先は、はっきりしていない。

しかし、左岸側は杉が植林されている。

このあたりは、『木山』とよばれる地名である。

この地の一番上は、『木無山』。

沢をそのまま、進んで行く。


西峰(屏風岩清龍不動尊前)より続く尾根までには、滝はない。

たわら石から、2時間程度。

植林された地域は、このあたりにはない。

時々、道らしいものがあるのだが、

けもの道なのだろう。

休憩の後、本日は退散。

植林地域まで戻り、

沢から移動。

杉木の向こうに、何やら住人に出会う。

こちらを見ている。

顔を拝見しようと、移動すると、

一目散に、消えてしまった。

杉木の根元がかじられているのは、

この住民のしわざなのだろうか。
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