2010年12月19日日曜日

三つ峠の夜

本当は、もっと綺麗だったよ。
富士吉田の夜景。
西桂の夜景もいいもんだと思ったよ。
三脚、忘れたからこんなもんになってしまったよ。

見せたかったのは、夜明けの姿。
甲府盆地に映る三つ峠の影。

山頂にいるとき、カメラを忘れてしまったよ。

夜の三つ峠。
たった一人の山頂。
寒いね。 今年もあと少し。
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2010年12月11日土曜日

見上げてごらん、そこに三ツ峠

すぐそこに三ツ峠の頂上。
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2010年12月10日金曜日

坂の下の雲、クレチの坂から

クレチの坂からの眺めも気に入っている。
大月方面の向こうの山。
江戸からの方たちは、あちらからやって来る。

クレチの坂の下の西桂。
ずっと、ずっと下っていって。
山並みがあって、向こうの雲。

坂の下の雲。
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2010年12月9日木曜日

三ツ峠の雪

とうとうここまで降りましたね。
麓に雪がやって来るのもすぐです。
12月です。 
準備はなかなか進んでいません。
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2010年12月8日水曜日

食われないように

絵図に記されているものはどこなのか。
幕末の人々が三ツ峠をどのように見ていたのか。
魚の口のようなところがある。
手前と向こう側は平坦になっている。
この口を通るには気を付けなければならない。
ザックを背負っていれば邪魔になり、
うっかりすれば谷底だ(左側)。

三ツ峠なんて、たいして高い山ではない。
山頂へ行くには、なんて事のない道がいくつもある。
幕末の人々は、何を見、何を求めて三ツ峠に入ったのか。
絵図に記されているのは、ここなのであろうか。
三ツ峠は水の山。凍結により岩も割れ始める。
そろそろ身の安全を考慮しなければならない。
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2010年12月7日火曜日

男女の石とは

絵図のどこかというと、この部分。
男と女の石がある。
躰と躰の文字は、外しておきます。
石と石に惑わされて。

探していたのです、この石。
石だと思っていたので、さまよって。
その場所にいたのに気が付かなくて。
ちっとも見えりゃあしません。

離れて、離れて目について。
これ、これ、これがそれの石。
石というより、岩ではありませんか。

やっぱり面白いじゃあありませんか。
三ツ峠の絵図、甲斐神鈴峰之図。
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2010年12月6日月曜日

男石、女石、三ツ峠の奇岩

幕末の絵図に描かれていた男石、女石。
どこにあるのやらと探し続けていた。
今年になってやっと見つけた。
近寄りすぎていて気がつかなかった。

現在の登山道からでも良く見えているではないか。
あると思えばあるし、ないと思えばない。
見えると思えば見えるし、見えないと思えば存在すらしない。

幕末や、それ以前の人々が思っていたこと。
今の自分たちが忘れてしまったこと。
人々の目線は変わってしまったのだろうか。
進化したのか、退化したのか。
今年もわずか、今年の成果といえばこの岩の発見。
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2010年12月4日土曜日

三ツ峠から江戸が見えた

見えた、見えた、江戸が見えた。
三ツ峠から見た江戸の町。

高層ビルから抜きん出ているものがある。
あれが世に言う、スカイツリーかしら。

三ツ峠は水峠、岸壁にはいくつもの氷柱。
沢水のあるところはおっかないねえ。
凍っておりました。
山頂への道は霜柱。
富士山、南アルプス、八ヶ岳、秩父連峰。
今日の目的は、江戸の町。

三ツ峠から見たスカイツリー。
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2010年11月24日水曜日

登ってますか、三ツ峠

しばらく遠のいている。
あちらとこちらに行っておきたいと思っているのだが。

天気が良い時にはいけなくて、
都合がつきそうな時には天気が悪くて。

前年はどうでしたっけ。
こんなもんであったのだろうか。
残り少なくなった今年。
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2010年11月18日木曜日

無題


娘に問うた。
ウソをつかれたことがないかと。
ウソをつかれたことがないとの答え。

知らなかったということを知らなかったよ。
ウソをついたことを叱ったことに、ゴメン。

時が経ればなんとかなるのかな。
あの頃、そんなことがあったねなどとね。

今日の三ツ峠には、雪が舞ったという。
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2010年11月17日水曜日

まだまだ三ツ峠

もう少し、もう少し前のほうが良かったのに。
三ツ峠が見え隠れする。
じっと眺めていたかった。

近くの神社に桂の木がある。
先日まで見事な黄色だったのに、今はすっきり。
着実に季節が移り変わっていく。

前回の三ツ峠山中で新たな発見があった。
石造物には年号だけでなく、日付も彫られていたのだ。
とっくに判っていたと思っていたのに知られていないことがある。
また出かけなきゃあねえ、三ツ峠の山。
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2010年11月15日月曜日

三ツ峠は信仰の山なのか

延命地蔵がハッキリ見える季節になりました。
安政六年(1859)と 彫られています。
八十八大師を過ぎ、親不知の手前の位置。
(現在の親不知のことですけど)

空胎上人と弟子達によって屏風岩へと続く横道が開拓される。
八十八大師に始まり200体もの石造物が置かれることになる。

信仰の三ツ峠は、南面の岩場にしか存在しない。
命を掛け進まねばならないところだ。
三ツ峠なんて1800mにも達しないたいして高くない山だ。
しかし、ここには命を掛けなければならないところが存在する。
信仰の山、三ツ峠の醍醐味なのだ。
御巣鷹、開運山、木無には信仰はない。
現在では、三ツ峠が信仰の山であることを知る人は少ない。
三ツ峠の南面を歩くこともなく、歩いても安全にしていただいたからである。
安全にしていただいたことは結構なことであり、感謝もしている。
体を冷やしてしまって、日曜日には寝こんでしまった。
いったい自分は何を言っているのかわからない。
でも、三ツ峠よ、ありがとう。 三ツ峠の南面がやっぱりいいネ。 キツイけど。
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2010年11月14日日曜日

三ツ峠は三ツ峠ではいけないのか

三ツ峠は古くから自身の山頂が三つに割れていることから
三ツ峠と呼ばれていた。

御巣鷹山は、御巣鷹山と呼ばれていた。
木無山は、毛無山と呼ばれていた。
開運山は、いつからそう呼び始めたのか知らない。
縁起の良い名であるから、そう呼んでも良い。

看板の説明が書き換えられることはないだろうし、
地名辞典やパンフレットも書き換えることもない。
多くの人が三ツ峠とは御巣鷹山、木無山、開運山であると言い、
地質学者や動植物学者たちも論文の中でそう引用する。
だけど三ツ峠は三ツ峠だし、御巣鷹は御巣鷹。木無は木無。
どうして一緒にしなけりゃならないのよ。(山も合併が行われていたんだネ)
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2010年11月13日土曜日

三ツ峠のモアイ

ここにも顔が見えるような気がする。
三ツ峠の屏風岩、東側。

久しぶりに三ツ峠に入る。
このところ動いていなかったのでバテた。

太陽がもっと出てほしかった。
葉っぱが落ちて、三ツ峠も冬支度。

下りに注意。
葉っぱで滑ってしまったら大変。
見通しが良くなって、いろんなものが見え始めてきた。
里に降りた頃には暗くなってしまったよ。
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2010年11月11日木曜日

倉見の山に出し月

わnが町の南に位置する山である。
標高は高くはないのであるが、
わが町にとっては、天に届く山。(に見える)

山の色も変わり、いよいよ登るには面白い。
天に届くほどの山なので、
この上にでる月は見事だ。

この町の夜をご覧なされ。
北には三ツ峠の上に柄杓の星。
南には倉見の山から出る月。
西には雪の被った富士山が当然ある。
東は江戸方面の山並み。
狭い空ながらひと味違うものがある。
これが小沼の宿なのだ。(かつては宿が存在した)
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2010年11月9日火曜日

みっつの岩峰

富士山の絵図には、山頂を三つに描かれている。
実際の富士山を見てもそうは見えない。
三ツ峠のみっつの岩峰をそのまま描いているようにも見える。
富士山の絵図の姿がそのままなのである。

これは、木無も御巣鷹も含まれない。
三ツ峠自身がみっつの岩峰を持っているのだ。
木無、御巣鷹には(関連する)信仰はない。
現存する信仰の跡を見ればわかること。

山頂に立てばパノラマの視界。
全てが見えるような気がする。
ところが、山頂に立ってしまうと何も見えない三ツ峠の山。
三ツ峠の山頂での富士山の眺めは確かに素晴らしい。
しかし、三ツ峠の美しさは麓からでしか味わうことができない。 地域限定の山なのである。
このことは、だれも知らないほうが良いのかもしれない。
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2010年11月8日月曜日

小さな町の小さな鉄橋

富士山を目指した富士講の行者たち。
この小さな町もかつては時間をかけて通り抜けて行った。
時間がかかれば、目にしないわけにはいかない三ツ峠の姿。
この町でしか見ることの出来ない三つの岩峰。

せわしい時代になって、この町を急いで通り抜けていく。
三つの峰もゆっくりは眺められないね。
小さな町には小さな鉄橋がある。
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2010年11月7日日曜日

午後の三ツ峠

どうでしたか、三ツ峠。
今日も朝の用事があったもので、
山の中はおあずけ。

西桂の文化祭。
YLO会館まで散歩。
三ツ峠の色も変わってきましたね。
やっぱり三ツ峠。
日が短くなりました。
午後は早めに。

三ツ峠がある。倉見山がある。
富士山がある。 
やっぱり西桂だね。
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2010年11月2日火曜日

三ツ峠は雲の中

富士山には雪。
いよいよ富士山らしい姿だ。
神戸から来たという年配のご夫婦が感動していた。

このとき三ツ峠はどうか。
一向に姿を見せない。
たいして高い山でないのだから
雲に隠れることなど必要ないのではないか。

三ツ峠よ、どうして雲に隠れてしまうのだ。
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2010年10月29日金曜日

晴れない三ツ峠

なかなか晴れない三ツ峠の山。

山は赤く、赤く、色づいている。
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2010年10月26日火曜日

三ツ峠と富士山の関係

富士吉田市の歴史民俗博物館に行ってきた。
お昼休みの時間を利用して行ってきた。
ああ、忙しいねえ。

富士山の神が、コノハナサクヤヒメとされるのは江戸時代から。
その前をさかのぼると、かぐや姫。

忍野村には、かぐや姫やおじいさん、おばあさんの像が伝わるらしい。
これらは非公開なので、写真での展示。

伊豆の走湯山の信仰が入ってきたのではという説。
富士北麓には、いくつかの水海(みずうみ)があって
海上での漁業生活者も、入りやすかったのかもしれない。

この山の中に海の痕跡を見つけた彼らは、
神の山としたのかもしれない。 三ツ峠の山。

これが、三ツ峠と富士山の信仰なのだ。 強引なる我が仮説ナリ。
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2010年10月25日月曜日

三ツ峠の信仰とはコレだ!

山頂に参られた方が目にするもの。
山頂工事のコンクリートの塊と勘違いされる方もいる。
丸い小石が集まった礫岩である。
これが意味するものは、海。
三ツ峠の山頂は、かつて、海の底だった。
山小屋付近では、貝の化石も出ている。

このことは古くから知られていた。
三ツ峠は水を出す山であり、海そのものでもあるのだ。

三ツ峠の信仰は、住吉三神であった!
伊豆方面からやって来た人々。
海を生業をしていた人達、星の知識を持っていた彼らがこの地に住み始めたのだ。
という仮説を立ててみました。 いかがでしょうか?
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2010年10月24日日曜日

寒くなったね、このごろ

今日も行けない。天気もいまいち。
風邪ひいたのかなあ。
昨日は寝こんで。
山は色が変わっていくようで。
今日も行けない。天気もいまいち。
最近どうしたのかなあ。
いつもの自分。
時はいつだって過ぎていって。
今日も行けない。自分もいまいち。

今日は町の芋掘り。
昨日の放送で言っていた。
今日はみんなで芋掘り。
山はおあずけ。
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2010年10月23日土曜日

三ツ峠の手紙

手紙、アリガトウ。
アリガトウの手紙。

忘れた頃にやって来た手紙。
嬉しかったよ。

手紙、アリガトウ。サヨナラの手紙。
ボクも手紙出したよ、返事の手紙。
手紙アリガトウの手紙。サヨナラの手紙。

お元気で。
三ツ峠の手紙。サヨナラ。
ボクだけの三ツ峠の思い出。
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2010年10月22日金曜日

甲府から三ツ峠へ

藤野木八町は、すぐそこ。
甲府へと向かう道です。
「とよ」は、そこを越えてやって来たことになります。

三ツ峠のこちら側は、それ程の山のように見えません。
岩肌がというわけでもありません。

「とよ」が目指したのは、自分が直接目にする岩山ではなく、
心の目で見た、険しい岩山でした。

三ツ峠は非常に都合の良い山です。
現在では、電波塔が建てられています。
今も昔も、人々にとって重要な山なのです。
アシタ、テンキニ、ナアレ。
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