2010年5月10日月曜日

三つ峠を信仰する人々の情報の共有



三つ峠を囲む人々は、どのように三つ峠を眺めていたのだろうか?
大幡では水を意識し、水峠と考えていた。
西桂では岩を意識し、三つの岩、三峠と考えていた。
では、河口湖ではどうだろう?
河口湖では三つ峠の山頂を臨むことはできない。
筒口から吸い込まれた柄杓は、三つ峠の方角から昇る。
それぞれの地域の情報は共有された。
それらが融合し水峠でもあり三峠でもあり、『みづとうげ』と呼ばれることとなった。
この過程の中に御巣鷹山、木無山の考えはない。
現代になり国道8号線(旧)が御坂峠を抜ける。
天下茶屋を通る道である。
山頂を目指す登山の歴史。
三つ峠も楽に登ることが可能となる。
三つの岩や水の源である信仰が忘れ去られる。
三つ山とは、御巣鷹山、開運山、木無山との考えが発明されることとなる。
三つ峠山内の石造物に目を向けていただきたい。
それらはどこに存在しているのか。
そして奉納者は誰なのか。
信仰のあった時代と信仰がなくなった時代。
三つ峠に対する見方そのものが変わってしまったのである。
現代においては、地名辞典や山梨県が解説するように
『三つ峠とは、御巣鷹山、開運山、木無山である』ことは受け入れなければならないかもしれない。
しかし200年前においては、
三つ峠とは、水峠であり三峠。『みづとうげ』と呼んでいたのである。(と思う)

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