2007年7月7日土曜日

『西国三十三所』、『秩父三十三所』と『八十八大師』

三峠には、八十八大師の他に西国と秩父の三十三所の観音文字塔がある。
これらの、奉納者の地域が分かれている。
八十八大師の場合南東地区が多い。
秩父三十三所のものは、南北地区。
西国三十三所は、北部地区。
これは、何を意味しているのだろう。
置かれているが三峠山中で別れているので、
そのことと関係があるのだろうか?

ここでわからないのは、登山ルートである。
たいていの場合、だるま石から八十八大師への通常の登山ルート。
ここには、多くの石造物が残っている。
三峠東尾根ルートがある。
夏狩湯ノ沢から入るものと、下大幡からの合流ルートである。
ここを通り、八十八大師へ出るコースである。

では、上大幡の場合はどうであろうか?
下大幡まで出てくることも考えられる。
多くの登山者が『水雲山』と(カンチガイシテ)呼んでいる尾根を登るコースはどうだろう。
御巣鷹山まで登ってしまったのだろうか?
そして、現在の登山コースから八十八大師まで??
御巣鷹山から三峠東の大ダルまでの横道があったのだろうか?
三峠の北斜面に。

いづれにしても、だるま石-八十八大師を除き、石造物は見つからない。
『水雲山』の神社は、大幡方面だけに残っている。
なぜ、南側のルートにはないのだろう?

南側の『府戸尾』の尾根。
これは、『太尾根』なのか『不動尾根』なのかわからない。
かつては、八町峠を越え、藤の木を抜け甲府国中へと抜ける街道でもあったはずだ。
しかし、石造物はない。

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