2010年5月30日日曜日

三つ峠への登山ルート、空胎上人以前

延享2年(1745年)とされる
下暮地村絵図である。
空胎上人が三つ峠にやって来る以前である。
三つ峠は屏風岩下へ向かう道と
後の八十八大師が設置される場所への道があるようである。
確かに、八十八大師から屏風岩への横道は空胎上人とその弟子達によって開削 されるとの記録がある。従って、それ以前は別の道を歩んでいたことになる。
神鈴権現から屏風岩下への道が現在と同じように、山小屋へ向かう 道まで存在していたかはこの絵図からでは見えない。
この絵図でも三つ峠は屏風岩までの三つの岩を「三都峠」として記録している。
そこには御巣鷹山、木無山は含まれていないことがわかる。
伝説ではあるが、「とよ」が神鈴権現に通う道は左のルートをたどったとしか考えられない。
現在の三つ峠山頂には、どの地区からでもやって来ることは可能である。
しかし、神鈴権現に降りる方法がないのである。
現在のロッククライマーのように懸垂下降などでいとも簡単に降りられれば問題はないのであるが。
とすれば、「とよ」はクライマーだったことになるのだ。
修験者の修行の場所は山頂に及んだのであろうが、庶民の信仰場は岩の根元にあった。
「とよ」とは女性修験者であったのか。
「とよ伝説」について、新たな情報があれば連絡を頂きたい。
※土日は三つ峠へは行けませんでした。次の日曜朝には草取り掃除があるので土曜日に登ろうと思っています。写真の撮り直しと行方不明の石仏を捜しに。

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