2010年5月12日水曜日

三つ峠の100観音計画は達成されたのか

三つ峠に100観音の奉納計画があった。
幕末の時代。
空胎上人の弟子によるもの。
(空胎上人の関与があったかわからない) 
西国33、坂東33、秩父34。
西峰屏風岩から始まる。
西から一番、二番となるのである。
すべて光背型。
坂東観音には、奉納者の銘がなく仏像が彫られている。
西国観音は文字、奉納者の銘がある。
秩父観音は文字、奉納者の他、御詠歌が彫られている。
大幡の奉納者の場合全面に彫られるが、
西桂奉納者では、側面に彫られている。
神鈴権現には西国観音の灯明台がある。

100観音のすべてが存在するわけではない。
計画が完成していたかはわからない。
昭和56年に確認されていたものでも、現在所在不明のものがある。
明治以降の廃仏毀釈の影響による紛失はあったのか?
八十八大師の多くは現存する。
八十八大師にあるお地蔵様の首はない。
台座(蓮の花)のみが残っているようだが、その上の仏様はなくなってしまったのか?
幕末の時代、ここが信仰の中心であったことは事実である。
そこには御巣鷹山、木無山は考えはない。

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