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2007年11月23日金曜日

三つ峠『左とうげ』の碑

駅からの登山者が立ち止る。

グリーンセンターの入口。

山頂位置の間違った『三ッ峠登山案内図』の横。

『南無阿弥陀仏 左とうげ』の碑が建っている。

昔から、昔からここで人々は立ち止った。

梵字のキリーク。 阿弥陀如来。

万延元年、1860年の建てられた。

三つ峠の山には、西方浄土があった。
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2007年11月20日火曜日

数見山から三つ峠

上暮地から三つ峠(夕日の尾根)は

数見山の林道が歩きやすい。

三つ峠から天上山へ向かう途中

数見山の林道に降りるのもよいだろう。


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2007年11月12日月曜日

白糸の滝の説明板

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上暮地、白糸の滝。 岩場のあるところに信仰があった。

三つ峠の岩場の一つ。

2007年10月12日金曜日

解説『三つ峠』あり


『近代では…』と書かれている。三つの峰。
近代とは、いつごろのことを言っているのだろう?

『標高一七八七米。…交通路に当ったため…』
と書かれてしまうと、山頂への登山道が交通路になっていたように誤解されてしまう。
山頂直下の道をわざわざ通ることは、決してない。
楽な近道は、府戸尾の尾根を登り三つ峠をまいて八町峠へと向かうのである。

木無山、御巣鷹山、開運山を三ッ峠と呼ぶというのは、
ここに書かれているように、近代になって呼ぶようにしたのであろう。
では、誰が、なぜ??

2007年10月10日水曜日

西峠、総本社、東峠

開運山は、いつごろから呼ばれたのだろう?
三峠を木無山(けなしやま)、三つ峠山頂、御巣鷹山とする場合、
その山を見渡せる場所がない。
どこに住む者たちが山の命名をしたのか?

倉見、小沼、下暮地、上暮地の各部落から見える
西峠、総本社、東峠の三つ峠山。
西峠の山頂に立った方たちは、総本社、東峠に気付く者は少ない。

三峠は、山頂に立った者たちが命名したものか?
三峠は、里から眺めた者たちが命名したものか?

開運山を、いつごろから呼ばれるようになったのだろう?
開運山と書かれている古文書が存在するのだろうか?

以前、紹介した不思議な案内図。
三つ峠駅前とだるま石に同じものが置かれている。
この不思議な図は、なぜ描かれたのか?
この図に疑問を持った者はいなかったのか?

2007年9月10日月曜日

案内板の『仙泉山』


『仙泉山』とも言われているとしている。

河口湖は、かつて『仙湖』と呼ばれていた。
三つ峠山が水を吸い上げているとの言い伝えがある。

『仙湖』の水を吸い上げる山が『仙泉山』。
『柄杓』が通り抜けて柄杓流川。

やはり、『天の柄杓』がないと説明がつかない。

2007年7月8日日曜日

案内図の一つ

このような案内板を見つけました。

いくつかの案内図がありますが、なかなか見ているようで見ていない。

この図では、御巣鷹山と三ッ峠山と木無山の他に『開運山』が存在することになっている。

Mt. Mitsutoge
Mt. Kaiunzan
Mt. Osutaka
Mt. Kinashiyama


2007年6月24日日曜日

山の模型を作りました


ぎざぎざなのですが、少し離れてみると
けっこういけているとおもうのですが。

中央あたりが、『三峠』です。

三ッ峠案内板の謎?

三ッ峠駅を降り、下暮地の集落を歩く。
集落を通り抜けるころ、『三ッ峠登山案内図』がある。
大方の皆さんが目にするのではないだろうか。
すでにご存知の方もいらっしゃると思うのですが、
知らない方には、お知らせしましょう。


この案内板のことです。 『開運山(三ッ峠山)』が中央部になっています。

私たちが登っているのは、中央部ではありません。
三角点のある屏風岩の上なのです。

さらに、中央部の岩下に神鈴権現があります。
その前に建つ石造物は、『一石供養塔』です。
一石供養塔』ではありません。

平成16年3月に、この件を当局に通知しているのですが、訂正されていません。
ご存知のない方には、ここにお知らせいたします。

『親不知の碑』は、うっかりすると見過ごしてしまいます。
『愛染明王』の碑は登山道がほんの少しはずれていますので、
やはり、見過ごしてしまいます。