三つ峠に石割権現があったことは述べました。
かつてはこの脇を登山道が通っていましたが、現在では崩落のために巻くようになっています。
ずっと前には脇を通るのではなく、この岩の間をすり抜けて向こう側に行っていたのでしょうか?
しかし、向こう側では岩をよじ登ることになりかなりの難所。信仰の為にはわざわざ大変な道を選ばなければならなかったのでしょうか?
石門のこちらの世界とあちらの世界などのような考えが存在していたのでしょうか?
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。
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