八十八大師から屏風岩への横道は、
空胎上人とその弟子たちによって開かれた。
それ以前は別々の尾根を通っていたと思われる。
村絵図には別の道が描かれている。
とよが藤の木や川口からやってきたとすると、
現在では階段になっている崖を下ってきたのだろうか?
御巣鷹から八十八大師へ向かい横道というのも疑問。
とよは猫のおふだをもらいにやって来たのだろうか?
とよが熱中したのは何だったのか?
火を放ったのはどこの誰か?
三つ峠を境界とする地域の人々にとって
三つ峠に対する考え方に違いはなかったのか?
伝説の中に潜むメッセージとは?
三つ峠への疑問は尽きない。
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