自然というべきか、不自然なのか。
階段(状)を歩く。
痛々しいというべきか、そうでないのか。
登山者が増えた方が良いのか、
すたれて途絶えたほうが良いのか。
誰も関心が無くなってしまえば、
全てが破壊されてしまう。
多少の痛みを伴わなければ、
維持することも難しいらしい。
実際のところ私にはわからないのである。
とりあえず自分だけ良ければというのも仕方がない。
このところ山には入っていない。
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。
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