なるほどと思った。
三ツ峠は二つ存在する。
この山を開運山とすれば、後ふたつの峰が必要となる。
御巣鷹、木無を付け加える。
そして、これらを三つの峰とする。
これは南面を全く見ない三ツ峠の姿なのである。
それが主流となってしまったことを意味する。
井伏や太宰は南面の三ツ峠の姿を見ていたのであろうか?
太宰は南面からなら登れたのであろうか?
登れたとしたら何と表現したのであろう。
それにしてもわからぬのは、とよはどうやって下ったのかということだ。
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。
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