富士講の信者たちは、どうして西側から登らないのか?
先日の講習会で専門の先生たちが議論していた。
1. 地形的な問題。
大沢崩れなどの崩壊
安定した岩盤のがない(?)
2. 気象的な問題。
偏西風の影響
と言ったことなどをおっしゃっていたように思う。
私は富士山に登ったことが一度もない。
私は勝手に想像する。
富士には日の出がよく似合う(はずである)。
とすれば、日の出の方向に人は集まる。
自然と東方向から登りたがる。
西方面からの道が存在した場合には、日の出の邪魔となってしまう。
従って信仰の道は北西方面が選ばれないこととなる。
人口の多い江戸から遠いとは理由にならない。
三つ峠の登山道についても不思議に思うことがある。
山頂を目指すとすれば、他に楽な道が存在するのに。
わざわざ大変な道を選んでいるのか?
なぜなら、信仰の為だからである。
大幡の信者たちは夏狩湯の沢から東尾根を歩いたのか?
否。
やはり、大竹(仏の沢)を抜け、山祇神社を抜け達磨石から岩場を目指したはずである。
三つ峠の信仰の道も日の出の見える側が選ばれたかもしれない。
富士山にも三つ峠にも大日如来、 ご来光。
人口の多い江戸から遠いとは理由にならない。
三つ峠の登山道についても不思議に思うことがある。
山頂を目指すとすれば、他に楽な道が存在するのに。
わざわざ大変な道を選んでいるのか?
なぜなら、信仰の為だからである。
大幡の信者たちは夏狩湯の沢から東尾根を歩いたのか?
否。
やはり、大竹(仏の沢)を抜け、山祇神社を抜け達磨石から岩場を目指したはずである。
三つ峠の信仰の道も日の出の見える側が選ばれたかもしれない。
富士山にも三つ峠にも大日如来、 ご来光。
そんなふうに解釈してみましたが、いかがでしょうか?
富士山のこと、三つ峠のこと。
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