江戸時代の後期と思われる。
筒の口はこのようにいくつもあったらしい。
これらは、どれがどこなのでしょうか?
この近くに住んでいるという年配のご婦人に会う。
北斗七星が山の上に立っているのを気にしていた。
今でもこのことに関心を示す方がおられるのであるから、
昔(といってもかなり古い)の時代の先祖たちが興味をもつことは不思議ではない。
私は縄文時代までさかのぼれると思っていたら、
その時代に「柄杓は存在したのか?」と他の方に指摘された。
柄杓の形を柄杓と認識できるようになる時代はいつなのか?
その前の時代には、北斗七星を連続した特別の星と認識できたのか?
関東地方や静岡、山梨に大陸からの渡来の方たちがあるらしい。
彼らは富士山を求めて住むようになったのだろうか?
「徐福」は日本にたどりついたのかはわからないけれど、
渡来の方たちが 徐福であったのだろうか?
柄杓の星を柄杓として見ることをこの地で感じることを行ったのは、そういった方々だったのだろうか?
筒口の絵図は江戸末期と思われるが、この地が筒口であったのは船津溶岩流がここまで到達したときから始まる。
富士山が噴火の最中の時代火の山を水で消したいという思いが、
天の柄杓で行えたらとの願いと結びつくことは不思議ではない。
これらのことを考慮すると富士山があり、オマケの三つ峠も有りか?
そのように考える方も古くからいたと考えたい。
(そうでない人も存在していたはずだと私は感じている。)
BingMapのほうがさらに形が見えているようである。
YahooMapとは水位が異なるようだ。
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