奈良時代に修行の祖、「役行者小角」によって開かれという三つ峠。
溶岩があっちこっちで噴出して、
富士山は大変な状態であったから、
近くの山の三つ峠においでになったことでしょう。
とすれば、このときの三つ峠は現在と同じように
富士山を眺めるための山。
ちょっと寄っただけのところが、
たまたま三つの岩峯をもっていた山であっただけのこと。
そんなふうに考えてしまってもいいのだろうか。
御坂山塊には、もっと高いところもあるでしょうに。
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。
2 件のコメント:
三つ峠だからこそ選ばれた気がします。
なぜかとういうと、火を吹いている富士山に対して、三つ峠は水峠と言われていたこともあるように水が豊富である。
陰陽道の五行相剋の考えでは、水は火に勝ちます。
富士山の噴火を鎮める力を三つ峠(水峠
)が持っていると考えられて、開かれたのではないでしょうか。
ただ、直観でそう思っただけで何の裏付けもありません。
ありがとうございます。
人々が天の柄杓で、水をすくい
火の山にかけたい気持ちを想像します。
北斗七星と三つ峠(水峠)。
そして、火の山、富士山。
深い関係がありそうな気がします。
コメントを投稿