天保6年(1835)、一字一石供養塔が建てられた。
この年にハレー彗星が出現。
北斗七星の方角に。
三つ峠の上にハレー彗星の尾が見えていたはずである。
このことについての空胎上人の記録はないのだろうか?
人々はどんな思いをしていたのだろうか?
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。
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