三つ峠の歴史を考えるとき、富士山との関係は重要です。
奈良時代、平安時代の山岳宗教の中で、
富士山では大きな噴火がありました。
精進湖や西湖が誕生する溶岩の噴出。
現在の樹海では、火の海でした。
また、溶岩によりせき止められた桂川には
山中湖が誕生します。
三つ峠の山頂から、これらの姿を修験者たちが
眺めていたことでしょう。
このことを考えると、
三つ峠は、富士山を眺めるための山となります。
時代によって、三つ峠の意味も異なっていたのかもしれません。
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。
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