2008年12月20日土曜日
2008年12月16日火曜日
2008年12月14日日曜日
2008年11月30日日曜日
2008年11月10日月曜日
三つ峠の沢から見えるもの
2008年11月8日土曜日
どこから見るか三つ峠
2008年11月7日金曜日
大明見古宮からの三つ峠
鳥居地峠からの三つ峠
2008年11月3日月曜日
ふれあいサロン三つ峠
2008年11月2日日曜日
みつとうげと呼ばれていたのか
『三ツ峠』と書かれている江戸期の絵図は、存在する。
では、『みつとうげ』と呼ばれていたのか?
どうも、『みつとうげ』とも『みずとうげ』とも呼ばれていたらしい。
したがって、どちらも正しいのだ。
御巣鷹、開運山、木無山が『三つ峠』なのか?
それを眺められる場所は、限られている。
しかし、そう呼ぶ人々もいた。
麓に住む人たちは、三つ峠単独の形状から、
そのものを『三つ峠(水峠)』とよんでいた。
どちらが正しいのか?
どちらも正しい。
どうも世の中の様々な考えには、どちらも正しい場合があるようだ。
私は、こちらが正しいとの考えばかりで見ていた。
どうでもよいことだと言えば、それまでなのだが。
富士山を眺めるために、三つ峠に登る人たち。
三つ峠の岩場に近づこうとして、三つ峠に登る人たち。
この両方の目的を達することのできる、古道、『府戸尾の尾根』。
その中間地点になだらかな場所がある。
富士山も眺められるし、三つ峠の岩場も迫って見える。
三つ峠の数々の滝も見える。
その場所に、何かが存在したのではないか?
そこには、石造物などは見つかっていない。
大正、昭和初期には、展望台がおかれていた場所。
今では、雑木林の中。
もう一度、訪ねてみたいと思っている。
では、『みつとうげ』と呼ばれていたのか?
どうも、『みつとうげ』とも『みずとうげ』とも呼ばれていたらしい。
したがって、どちらも正しいのだ。
御巣鷹、開運山、木無山が『三つ峠』なのか?
それを眺められる場所は、限られている。
しかし、そう呼ぶ人々もいた。
麓に住む人たちは、三つ峠単独の形状から、
そのものを『三つ峠(水峠)』とよんでいた。
どちらが正しいのか?
どちらも正しい。
どうも世の中の様々な考えには、どちらも正しい場合があるようだ。
私は、こちらが正しいとの考えばかりで見ていた。
どうでもよいことだと言えば、それまでなのだが。
富士山を眺めるために、三つ峠に登る人たち。
三つ峠の岩場に近づこうとして、三つ峠に登る人たち。
この両方の目的を達することのできる、古道、『府戸尾の尾根』。
その中間地点になだらかな場所がある。
富士山も眺められるし、三つ峠の岩場も迫って見える。
三つ峠の数々の滝も見える。
その場所に、何かが存在したのではないか?
そこには、石造物などは見つかっていない。
大正、昭和初期には、展望台がおかれていた場所。
今では、雑木林の中。
もう一度、訪ねてみたいと思っている。
2008年11月1日土曜日
三つ峠を眺める者たち
三つ峠の御丈岩のこと
だるま石にある解説板によれば、
だるま石が『御丈岩』であるという。
だるま石の下に七畳の岩があったという。
『ごじょう』の岩であるのだから、
『五畳』の広さではないのだろうか?
絵図からみると、元山神より奥に描かれているように見える。
とすると、やはり山頂が見える位置、
すなわち、現在の堰堤付近にあったのかもしれない。
『割石社』が手前にあるのも不思議だ。
石割権現社は、馬返しより上の岩の裂け目にあるのに。
御丈岩が移動されたとすると、 この絵図より後のこと? 空胎上人一門によって?
現在に位置に運ばれた後、大日如来を表す『アーク』の梵字が彫られた。
麓にある胎蔵界、山頂にある金剛界。
これらが対になっている大日如来の山。 これが三つ峠だ!
だるま石が『御丈岩』であるという。
だるま石の下に七畳の岩があったという。
『ごじょう』の岩であるのだから、
『五畳』の広さではないのだろうか?
絵図からみると、元山神より奥に描かれているように見える。
とすると、やはり山頂が見える位置、
すなわち、現在の堰堤付近にあったのかもしれない。
『割石社』が手前にあるのも不思議だ。
石割権現社は、馬返しより上の岩の裂け目にあるのに。
御丈岩が移動されたとすると、 この絵図より後のこと? 空胎上人一門によって?
現在に位置に運ばれた後、大日如来を表す『アーク』の梵字が彫られた。
麓にある胎蔵界、山頂にある金剛界。
これらが対になっている大日如来の山。 これが三つ峠だ!
三つ峠の大沢
大沢を進んでみた。
大沢とは、柄杓流川の源流のことである。
山の神を過ぎると、三つ峠の山頂が見えてくる。
堰堤まで来ると、みっつのピークが一望できる。
だるま石は、かつて別の場所にあったという話がある。
とすると、その場所にあったほうが都合がよいのではないか。
沢の出会いであり、危険な場所でもある。
あっちの沢と、こっちの沢から岩がごろごろ。
そんなことで、現在の場所に移動されたのだろうか。
神鈴権現の尾根までは、道らしきものはあるのだが、
その先は、はっきりしていない。
しかし、左岸側は杉が植林されている。
このあたりは、『木山』とよばれる地名である。
この地の一番上は、『木無山』。
沢をそのまま、進んで行く。
西峰(屏風岩清龍不動尊前)より続く尾根までには、滝はない。
たわら石から、2時間程度。
植林された地域は、このあたりにはない。
時々、道らしいものがあるのだが、
けもの道なのだろう。
休憩の後、本日は退散。
植林地域まで戻り、
沢から移動。
杉木の向こうに、何やら住人に出会う。
こちらを見ている。
顔を拝見しようと、移動すると、
一目散に、消えてしまった。
杉木の根元がかじられているのは、
この住民のしわざなのだろうか。
大沢とは、柄杓流川の源流のことである。
山の神を過ぎると、三つ峠の山頂が見えてくる。
堰堤まで来ると、みっつのピークが一望できる。
だるま石は、かつて別の場所にあったという話がある。
とすると、その場所にあったほうが都合がよいのではないか。
沢の出会いであり、危険な場所でもある。
あっちの沢と、こっちの沢から岩がごろごろ。
そんなことで、現在の場所に移動されたのだろうか。
神鈴権現の尾根までは、道らしきものはあるのだが、
その先は、はっきりしていない。
しかし、左岸側は杉が植林されている。
このあたりは、『木山』とよばれる地名である。
この地の一番上は、『木無山』。
沢をそのまま、進んで行く。
西峰(屏風岩清龍不動尊前)より続く尾根までには、滝はない。
たわら石から、2時間程度。
植林された地域は、このあたりにはない。
時々、道らしいものがあるのだが、
けもの道なのだろう。
休憩の後、本日は退散。
植林地域まで戻り、
沢から移動。
杉木の向こうに、何やら住人に出会う。
こちらを見ている。
顔を拝見しようと、移動すると、
一目散に、消えてしまった。
杉木の根元がかじられているのは、
この住民のしわざなのだろうか。
2008年10月28日火曜日
誰が三つ峠と呼んだのか?
三つ峠そのものが、3個のピークを持つ。
山頂直下の岩場に清龍不動尊が祀られ、水が滴るところから、
水の山とも言われてきた。
発音は、『みづとうげ』と言われてきた。
古文書には、
三峠、三都峠、水峠と書かれている。
そこには、御巣鷹山、木無山が
揃っている姿が存在しない。
御巣鷹、木無山、三つ峠の総称を誰が、『三つ峠』と呼んだのでしょうか?
地名辞典に記され、パンフレットなど、どの解説にも書かれている三つ峠の解説。
この土地に古くから居住してきたものの見方、三つ峠を信仰の対象としてきた者たちの見方、
三つ峠を離れて見ていた富士信仰の者たちの見方。
これらの違いがあることに、気づいている者がおられるのでしょうか?
三つ峠 = 開運山、『開運山』が記された古文書を知っておられる方がいましたら、
ご一報いただけませんでしょうか?
2008年10月26日日曜日
三つ峠と御巣鷹山と木無山と
富士山北口登山道の馬返しです。
ここらか、いよいよ富士登山の聖域となる境界地点です。
面白いこのは、富士のお参りを済ませた人々の帰り道です。
帰りに、ここの鳥居に立つ。
すると前方に見えるのが、なんと『三つ峠』なのです。
さらに面白いことに、
御巣鷹山、三つ峠そのもの、木無山が
揃って見えるのです。
『開運山』の名称は、未だ解らず。
誰が呼び始めたのでしょう。
しかし、御巣鷹山と木無山とを眺めるところが、
ここに存在しているのです。
現在では、鳥居の前の立ち木のため、
三つ峠が正面に見えるわけではありません。
しかし、鳥居の脇に寄り、前方を眺めると、
確かに、三つ峠の山が見えているのです。
かつては、この鳥居を通り抜ける瞬間に、
真正面に三つ峠を眺めていたことになります。
富士山と三つ峠の関係。
人々は、何かを感じたに違いありません。
登録:
投稿 (Atom)