『三ツ峠』と書かれている江戸期の絵図は、存在する。
では、『みつとうげ』と呼ばれていたのか?
どうも、『みつとうげ』とも『みずとうげ』とも呼ばれていたらしい。
したがって、どちらも正しいのだ。
御巣鷹、開運山、木無山が『三つ峠』なのか?
それを眺められる場所は、限られている。
しかし、そう呼ぶ人々もいた。
麓に住む人たちは、三つ峠単独の形状から、
そのものを『三つ峠(水峠)』とよんでいた。
どちらが正しいのか?
どちらも正しい。
どうも世の中の様々な考えには、どちらも正しい場合があるようだ。
私は、こちらが正しいとの考えばかりで見ていた。
どうでもよいことだと言えば、それまでなのだが。
富士山を眺めるために、三つ峠に登る人たち。
三つ峠の岩場に近づこうとして、三つ峠に登る人たち。
この両方の目的を達することのできる、古道、『府戸尾の尾根』。
その中間地点になだらかな場所がある。
富士山も眺められるし、三つ峠の岩場も迫って見える。
三つ峠の数々の滝も見える。
その場所に、何かが存在したのではないか?
そこには、石造物などは見つかっていない。
大正、昭和初期には、展望台がおかれていた場所。
今では、雑木林の中。
もう一度、訪ねてみたいと思っている。
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