2010年3月15日月曜日

筒口の柄杓(または笏)はどこをくぐり抜けるのか

筒口の柄杓(または笏)はどこをくぐり抜けるのか?
筒口 -> 河口湖駅 -> ハイランド -> 月江寺 へと抜ける。
船津溶岩流によって川がせき止められ現在の河口湖が形成される。
河口湖から流れる川が地下に存在する。
このように考えてもよいのだろうか?

「しゃく」を「笏」と考えると物語は続かない。
たったひとりのできごとが民衆に伝えられるのだろうか?
「柄杓」であり「北斗七星」を考えると多くの民衆が感じることができる。 そして、伝説となった。

ウソはデタラメなのだろうか?
何かを示唆してはいないか?

「しゃく」は筒口に吸い込まれた。 … 事実
「月江寺」に流れ着いた。 … ありえない
「三つ峠」をくぐり抜けた。 … 絶対にありえない

「しゃく」とは「柄杓」であり天に上り「北斗七星」となった。 
三つ峠には「妙見菩薩」が祀られていた。 … 古文書に記載あり

2010年3月14日日曜日

筒口の絵図と柄杓、三つ峠と富士、柄杓の意味

筒口の絵図(部分)である。

江戸時代の後期と思われる。

筒の口はこのようにいくつもあったらしい。

これらは、どれがどこなのでしょうか?
この近くに住んでいるという年配のご婦人に会う。
北斗七星が山の上に立っているのを気にしていた。
今でもこのことに関心を示す方がおられるのであるから、
昔(といってもかなり古い)の時代の先祖たちが興味をもつことは不思議ではない。

私は縄文時代までさかのぼれると思っていたら、
その時代に「柄杓は存在したのか?」と他の方に指摘された。

柄杓の形を柄杓と認識できるようになる時代はいつなのか?
その前の時代には、北斗七星を連続した特別の星と認識できたのか?

関東地方や静岡、山梨に大陸からの渡来の方たちがあるらしい。
彼らは富士山を求めて住むようになったのだろうか?
「徐福」は日本にたどりついたのかはわからないけれど、
渡来の方たちが 徐福であったのだろうか?
柄杓の星を柄杓として見ることをこの地で感じることを行ったのは、そういった方々だったのだろうか?

筒口の絵図は江戸末期と思われるが、この地が筒口であったのは船津溶岩流がここまで到達したときから始まる。
富士山が噴火の最中の時代火の山を水で消したいという思いが、
天の柄杓で行えたらとの願いと結びつくことは不思議ではない。

これらのことを考慮すると富士山があり、オマケの三つ峠も有りか?
そのように考える方も古くからいたと考えたい。
(そうでない人も存在していたはずだと私は感じている。)

BingMapのほうがさらに形が見えているようである。
YahooMapとは水位が異なるようだ。

2010年3月13日土曜日

「せのうみ」のこと


甲斐国志での山中湖の説明である。
古名を「かき海」 と言っていたとのこと。

しかし、「石花海」と書いて「せのうみ」と辞書にある。
これを「せのうみ」と呼ぶとすると、
富士五湖すべてが「せのうみ」と呼ばれていたことになる。
山中湖が「宇津湖」と呼ばれたのはいつのこと?
では、「宇津」とは何のこと?
静岡に「宇津ノ谷」というところがある。
「せのうみ(石花海)」も静岡にある。

人々が地名を名づけるときの基準とは何であったのか?
三つ峠が三峰を持つ岩であることは、西桂に住んでいた人たちにとってのこと。
御巣鷹山、木無山、開運山を三つ峠であると思っていた人たちもいたのだろうか? 
そして、それはどこのことなのか?

2010年3月9日火曜日

富士北麓の信仰と三つ峠

富士山北側の信仰では、
南の富士山は太陽信仰、
北の御坂山塊では北極星信仰としていた。
それらはどちらか一つではなく、双方を取り入れていた。
…と私は考えている。


三つ峠は富士山のオマケではない。
三つ峠は三つ峠そのものに意味が存在しているのである。


信仰という教科書を求めていたのではなく、
毎日の生活に必要なことが信仰とされていた時代。


三つ峠が、
御巣鷹山、木無山、開運山の総称などとはこの地に住む者は誰も信じていなかった。
何故なら、三つ峠そのものが三つの岩を持つ山であることを毎日見ているからである。
もちろん、水の山であることも知っている。

筒口神社と三つ峠



筒口神社では、
北斗七星が三つ峠から昇り、黒岳に沈む。
(残念ながら、三つ峠山頂は見えない)
北には御坂峠。 北方面の稜線は下がっている。
観測には都合の良い場所なのである。

筒口に柄杓が吸い込まれる。
三つ峠に柄杓が昇る。
柄杓は黒岳に沈む。

溶岩の進出。 現河口湖の成立。
この地が特別な場所であることを知った人々。
神社の設立。
三つ峠の信仰。

小沼(西桂)の北斗七星の信仰との共通。
柄杓流川の命名。

この地に生活するに必要な情報の獲得。
富士山信仰とは別の意味を持っていた。

2010年3月7日日曜日

穴口神社周辺の地形



穴口の古図と比較すると面白いと思います。
溶岩が進入して割れているところは、精進湖のそれと同じ状況でしょうか?


穴口とは、柄杓の吸い込まれた口だと言われています。
柄杓はここから吸い込まれた後、天に昇り星となるのです。
今では吸い込むことはないようですが、
天の柄杓は眺めることができます。


河童伝説もこのあたりを言うのでしょうか?


yahooの写真のほうが水中の様子も見えるので使用させていただきました。

2010年3月5日金曜日

三つ峠は、富士山信仰の付属なのか

Q:富士山信仰のために三つ峠に登るのか?
A:これは正しい。


しかし、これだけではない。
三つ峠には、三つ峠だけの信仰の歴史が存在する。


富士山の噴火の時代には、富士山に人々は注目していた。
ところが、富士山が安定してしまうと
この近隣に住む人たちは、富士山に対してそれほど注目をしない。
むしろ、富士山よりも身近である里の山の方が重要となる。


里の山の三つ峠の岩に信仰を求めた。そんな時代が存在した。


神社というのも面白い。
大きな神社は、大正時代にできたものも多い。


もっとも古いのは、その土地に住む人々の目印となるものであったのだろう。
季節を知るために。
太陽や星を意識した。
これらはその後、いくつかの理由が付加されることとなる。


三つ峠が、富士山のためだけに存在している訳ではないことを感じる。