『郡是の川合信水先生』(大塚榮三著、昭和6 年発行、岩波書店)には三つ峠の呼び方を『みづとうげ』としている。
大幡の権現様の三峠もそう呼んでいたのではないか。
大幡川は、柄杓流川より水量が多いように思う。
三つ峠を『水』と考えていたのは大幡方面であり、
西桂方面では『三つの岩』と見ていたのではないだろうか?
大幡の人々が三つ峠南面岩下に多くの観音菩薩を奉納していることに納得する。
『水雲山』とは三つ峠山のことである。
三つ峠とは、『水峠』であり『三(都)峠』でもあるのである。
幕末の一時期の人々の行動から推測した結果である。
いずれにしても御巣鷹山、木無山への関係はない。
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