三峠に戻ります。
だるま石から登り、馬返しにやってきます。
ここから、いよいよ、少々急になってきます。
登山道も崩壊しやすく、変更になった場所が
いくつもあります。
古い登山道であった方を通ると、
道の脇の岩の割れ目に、
誰もお参りしていない神社がありました。
『大正九年八月十九日再建』とあります。
『石割権現社』と思われます。
昭和初期の頃の『三ッ峠山平面界図』には記されています。
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。
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