2010年7月10日土曜日

伝説の開運山、三ツ峠

伝説として弘法大師、当山に入り、100日の行をつむ、この間三日しか好天気無く、以来当山え好天気に登山したる者、運が開くと宣言した由緒により開運山とも言う。
---「ふるさとの地名考 河口、大石の部 河口湖町教育委員会」

「開運山」は伝説の話であった。
古文書にはない。(今のところ)
江戸期以前の庶民は、山頂に立つことは少ない。
なぜなら、三ツ峠の信仰は岩の根元に存在する。
岩そのものが信仰の対象、神であり仏であるのである。
よって、その岩の上に立つことは稀であった。
運が開くのは修験者たちだけであったのかもしれない。
「開運山」は古文書に出てこない。(今のところ)
出ているものがあれば新発見となる。
伝説の話、その根拠となるものを探している。
ご存知の方が居られれば、ご連絡くだされ。

明治27年の三ツ峠

山梨県市郡村誌を見ている。明治27年10月出版。
桂村誌。 桂村の役場は現在の西桂町小沼。
山岳の項に三ツ峠山の解説がある。 
「本村西北ニアリ嶺上ヨリ二分シ北ハ寶村二属ス樹木繁生渓水數條アリ」
三ツ峠は桂村にあることがわかる。

ここで先に上げた明治17年の点の記の履歴。
西桂村と訂正があるのは、さらに後のこと。
明治8年に桂村となるので、上暮地村や下暮地村とあるのは17年当時まで旧村のなごりが残っていたのかもしれない。
明治においては古い三ツ峠の信仰も多少残っており、大幡や下暮地が三ツ峠への道であったのである。 
更に面白いのは、この時点で「ツ」の文字が入っている。
しかし、「三峠」とツの入らない記載と混在しているのである。
時は明治27年のこと。

当たり前の三ツ峠の姿

三ツ峠の姿をどれだけの方がご存知なのであろうか。
この姿をご覧になられて御巣鷹、木無を含むことを
どうやって想像すればよいのだろう。
表三つ峠と言われる所以は単に南面にあることではない。
生活の中に古くからこの山を見続けてきた住人達の
こころの中を感じてはいただけないでしょうか。

昨日の雨から今日の晴天。
今日も朝から登山道の整備の方々の汗が流れる。
毎日、馬返しまでを往復される方は、もうお帰り。
私はこのところ頭痛、山、登らず。

2010年7月4日日曜日

三ツ峠を感じる瞬間

谷間の間を這い上がる。
またたく間にガスに覆われていく。
三ツ峠のコブが消えていく。
私はラクダの背中にいるノミなのだ。


三ツ峠のこの道には歴史がある。
江戸時代がある。
もっと前の時代の気配も感じる。


三ツ峠は霊山である。
それを感じるのは、この道しかないのだ。
何故なら、三つのコブを見られるのはこの方向しかないからだ。


三ツ峠の登山道を整備する方々に会う。
三ツ峠の由来は三つのコブを持つことをお話する。
先程まで見えなかった山頂が顔を出す。
三つのコブを目にしたとき感動されていた。
最近、登山道が歩きやすくなったのは、彼らのおかげである。
山頂に向かい整備をされるのだという。
最も古い三ツ峠への道は、人々の関わりの歴史でもある。
この道は険しい。登るのは苦しい。それを乗り越えて行く。
三ツ峠は霊山である。
一息ついた瞬間、心の中の霞が消えていく。 三ツ峠とはそういう山なのである。
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2010年7月3日土曜日

三ツ峠の岩

多分そうだと思うのです。
何がって?
それがその…。
馬返しを少し上がったところでお会いした方へ。
驚かせてしまって申し訳ありませんでした。
足場の悪いところで少々時間をいただいて。
その後どうでした。 天気。
どちらに降られたのでしょうか。
お話聞いていただき、ありがとうございました。 
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三ツ峠を信仰してきた先祖をもつ人々へ

大幡の人々が三ツ峠を水雲山と呼んでいた。
それは空胎上人が訪れるずっと前から。
水雲山三峠大権現とあるように、三ツ峠が信仰の対象であったのである。
尾根に社があることから、御巣鷹山を対象としている方がおられるかもしれない。
大幡村絵図に水雲山とあることから社のある場所を水雲山と考えれる方もいるかもしれない。
しかし、社の向きを見ていただきたい。
方向は明らかに三ツ峠の方角を向いていたはずだ。
さらに三峠大権現とあるように三ツ峠の信仰なのである。
神鈴峰の絵図には水雲山の名がある。
三ツ峠の三つの岩峰の一つが水雲山なのであろうか。
否、三峰が水雲山と考えるのが自然ではなかろうか。
御巣鷹山、木無山ではないことを注記しておく。
高い山だけでは信仰は発生しない。そこには岩が必要なのだ。
大幡の住人、下暮地の住人から三ツ峠への信仰は生まれるのは極めて自然である。
この地区の人々の三ツ峠の信仰の祭りが毎年5月に今尚続けられている。
三ツ峠の石造物は彼らの先祖が奉納したものである。
それらを強く思う人々は、今では体力的にそこに行くことはできない年代となっている。
その思いを無視する行動は避けたい。
我が行動の中にそれに反するものを感じられた場合には、
直ちに連絡をいただきたい。 

2010年7月2日金曜日

明治の三ツ峠は水峠

国土地理院の点の記履歴を見る。

二等三角点  水峠
明治十七年撰定
地名 山梨県甲斐国都留郡西桂村大字水峠


ここには上暮地村から下暮地村への訂正、
さらに西桂村への訂正がある。
この時、三角点設置の順路は上暮地から登っている。
頂上への運搬は駄馬。
下暮地からでは馬では無理なのでやむおえない。
このために上暮地と下暮地を取り違えたのだろうか。
 
明治17年には、「みづとうげ」と呼んでいる事実がある。
信仰の山は、その後登山の時代をむかえる。
大正時代、山頂を憂える人々がいた。
昭和に入り小沼駅が三ツ峠駅に改称。
濁点でない時代に入る。

しかし、今でも三ツ峠が「みづとうげ」と発音していたことを
知っている人々が多くいることに驚く。
もっとも、いつの日か「みづとうげ」であることを忘れる時代が
目の前にあるのも事実だ。


土曜の天気は大丈夫だろうか。 早めにでかけ、早めに戻ろうと思っている。