昭和16年の『三ツ峠 史跡と伝説の地』(三ツ峠会)がある。
この中にも『開運山』の名称は一切ない。
『三つ峠は、その峰の岩が三つに分かれているので三峠という』との説明がある。
古くは『仙泉山』と呼ばれたことが書かれている。
昭和初期の三つ峠の調査では、
『三峯山』、『神鈴峯』、『水峠』が記されている。
御巣鷹山、開運山、木無山の三山の総称とする考えは、
その後に発生したことになる。
近代登山により、『大久保山』(三つ峠の東尾根のピーク)が名づけられたころに
三つ峠の『開運山』の名称が用いられるようになったのであろうか。
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