三つ峠の信仰は、空胎上人以前と以後で異なる。
元来、三つ峠は真言密教の山としての信仰が存在した。
空胎上人は天台宗の僧であり、以前の信仰を継承しながら
弾誓上人(木喰僧)の教えを持ち込んだのだった。
三つ峠の石造物は、そのほとんどが空胎上人以後のものである。
三つ峠は、富士山を拝むための山ではない。
(そういうものもあったのかもしれないが)
石造物からみると、三つ峠そのものを信仰の対象としていたことがわかる。
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。
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