2007年7月31日火曜日
2007年7月26日木曜日
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2007年7月22日日曜日
2007年7月18日水曜日
2007年7月14日土曜日
2007年7月13日金曜日
上暮地の『白糸の滝』
2007年7月9日月曜日
2007年7月8日日曜日
2007年7月7日土曜日
『西国三十三所』、『秩父三十三所』と『八十八大師』
三峠には、八十八大師の他に西国と秩父の三十三所の観音文字塔がある。
これらの、奉納者の地域が分かれている。
八十八大師の場合南東地区が多い。
秩父三十三所のものは、南北地区。
西国三十三所は、北部地区。
これは、何を意味しているのだろう。
置かれているが三峠山中で別れているので、
そのことと関係があるのだろうか?
ここでわからないのは、登山ルートである。
たいていの場合、だるま石から八十八大師への通常の登山ルート。
ここには、多くの石造物が残っている。
三峠東尾根ルートがある。
夏狩湯ノ沢から入るものと、下大幡からの合流ルートである。
ここを通り、八十八大師へ出るコースである。
では、上大幡の場合はどうであろうか?
下大幡まで出てくることも考えられる。
多くの登山者が『水雲山』と(カンチガイシテ)呼んでいる尾根を登るコースはどうだろう。
御巣鷹山まで登ってしまったのだろうか?
そして、現在の登山コースから八十八大師まで??
御巣鷹山から三峠東の大ダルまでの横道があったのだろうか?
三峠の北斜面に。
いづれにしても、だるま石-八十八大師を除き、石造物は見つからない。
『水雲山』の神社は、大幡方面だけに残っている。
なぜ、南側のルートにはないのだろう?
南側の『府戸尾』の尾根。
これは、『太尾根』なのか『不動尾根』なのかわからない。
かつては、八町峠を越え、藤の木を抜け甲府国中へと抜ける街道でもあったはずだ。
しかし、石造物はない。
これらの、奉納者の地域が分かれている。
八十八大師の場合南東地区が多い。
秩父三十三所のものは、南北地区。
西国三十三所は、北部地区。
これは、何を意味しているのだろう。
置かれているが三峠山中で別れているので、
そのことと関係があるのだろうか?
ここでわからないのは、登山ルートである。
たいていの場合、だるま石から八十八大師への通常の登山ルート。
ここには、多くの石造物が残っている。
三峠東尾根ルートがある。
夏狩湯ノ沢から入るものと、下大幡からの合流ルートである。
ここを通り、八十八大師へ出るコースである。
では、上大幡の場合はどうであろうか?
下大幡まで出てくることも考えられる。
多くの登山者が『水雲山』と(カンチガイシテ)呼んでいる尾根を登るコースはどうだろう。
御巣鷹山まで登ってしまったのだろうか?
そして、現在の登山コースから八十八大師まで??
御巣鷹山から三峠東の大ダルまでの横道があったのだろうか?
三峠の北斜面に。
いづれにしても、だるま石-八十八大師を除き、石造物は見つからない。
『水雲山』の神社は、大幡方面だけに残っている。
なぜ、南側のルートにはないのだろう?
南側の『府戸尾』の尾根。
これは、『太尾根』なのか『不動尾根』なのかわからない。
かつては、八町峠を越え、藤の木を抜け甲府国中へと抜ける街道でもあったはずだ。
しかし、石造物はない。
『延命地蔵』と『十一面観音』
八十八大師を通り過ぎると、いよいよ『親不知』である。
『親不知』の手前に『延命地蔵大菩薩』の碑を知らない方も多い。
自然石に刻まれているし、八十八大師からは横道になっていて
ついつい急いでしまう。 おまけに、その先は『親不知』。
安政六年(1859)、修善和尚が『登山者の安全を祈り...』と
古文書にあるらしい。
『登山者の安全』とは?
今登っている行為のことなのであろうか?
この先には、『親不知』がある。
その安全を祈って、ということなのであろうか?
安全とは、この先の道だけのことなのではない。
礼拝者が里に帰って後のこと。
実は、このポイントが重要な意味を持つ。
北辰妙見菩薩が祀られていたという西峠(水雲山)。
ともに刻まれている『十一面観音菩薩』。
手前にある、八十八体の『弘法大師』。
『北斗七星』の信仰。
やはり、南北方向には意図があった!(北極星信仰)
『北辰妙見菩薩』が祀られていることは、古文書にある。
八十八体の弘法大師、これらが南北方向を向いていた。
『北極星』を目印に方向を定めたに違いない。
『弘法大師』と『北斗七星』これも重要な関係だ。
ここが『水』の山で、'『水雲山』。
大日如来のアークの『だるま石』。
『柄杓流川』は、妙見信仰によってつけられたはずだ。
『昔、昔、河口湖かられ、柄杓が流れ出てきた...』という
古文書にある伝説。
もう、その頃には、その意味が忘れ去られてしまっていた。
『三都峠』も『みづとうげ』と読んでいたに違いない。
そうすると、
なぜ、『三ッ峠(みつとうげ)』と『つ』にする必要があったのだろうか?
八十八体の弘法大師、これらが南北方向を向いていた。
『北極星』を目印に方向を定めたに違いない。
『弘法大師』と『北斗七星』これも重要な関係だ。
ここが『水』の山で、'『水雲山』。
大日如来のアークの『だるま石』。
『柄杓流川』は、妙見信仰によってつけられたはずだ。
『昔、昔、河口湖かられ、柄杓が流れ出てきた...』という
古文書にある伝説。
もう、その頃には、その意味が忘れ去られてしまっていた。
『三都峠』も『みづとうげ』と読んでいたに違いない。
そうすると、
なぜ、『三ッ峠(みつとうげ)』と『つ』にする必要があったのだろうか?
2007年7月5日木曜日
いろいろ紹介しているんですけど...
どうも読まれていませんねえ。
いつものぞいているのは、自分。自分だけ。
先日声をかけた方、なんと、二度目でした。
今までで、二人目でした。
二人の方に、再び会うことができました。
いつものぞいているのは、自分。自分だけ。
先日声をかけた方、なんと、二度目でした。
今までで、二人目でした。
二人の方に、再び会うことができました。
2007年7月3日火曜日
三峠妙具谷の『夫婦岩』とは?
2007年7月1日日曜日
『あしだがや』から飛び出す『水雲山』
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