2010年9月29日水曜日

山登りは危険

三ツ峠は危険がいっぱい。
よくもまぁこんなところまで来るものだね。
こんな傾斜のとろろに道があって、
観音様を背負ってきた人たち。

幕末の時代、200体もの石造物が奉納された。
観音像が設置された。

こんな崖っぷちを麓から持ち上げたのだ。
三ツ峠は危険がいっぱいだ。
これが三ツ峠なのだ。

こんなところまでやって来るのは利口なのか馬鹿なのか。
わざわざ危険なところにやって来て。

三ツ峠のどこが好きですか

まずはここですね。
馬返しの手前。
もうすぐ馬返しというところ。
やっとここまで来たと言う思い。
そこまで行ったらお休みしようとの思い。

三ツ峠はそこからが変わる。
「馬返し」のここからが特別な領域、
その境界なのである。
馬は立ち入ることは禁じられている。
己自身で踏み込んでいかなければいけないのだ。

引き返すのならここだ。馬返しで引き返す。
取り返しの付かないうちに、引き返したほうが良い。
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御巣鷹、開運、木無の三ツ峠とは

なるほどと思った。
三ツ峠は二つ存在する。

この山を開運山とすれば、後ふたつの峰が必要となる。
御巣鷹、木無を付け加える。
そして、これらを三つの峰とする。
これは南面を全く見ない三ツ峠の姿なのである。
それが主流となってしまったことを意味する。

井伏や太宰は南面の三ツ峠の姿を見ていたのであろうか?
太宰は南面からなら登れたのであろうか?
登れたとしたら何と表現したのであろう。

それにしてもわからぬのは、とよはどうやって下ったのかということだ。
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2010年9月28日火曜日

やっぱり三ツ峠はこの形だ

頂上に行って
御巣鷹、開運、木無なとどいう方にはわからいだろう。

頂上に行ったって
どこがどこだかわからい。

三ツ峠はこの形が三ツ峠なのだ。

御巣鷹でも開運でも木無でもない、
三ツ峠自身のみっつの岩峰。

近寄れば近寄るほど見られない姿。
ああ、俺は、この街で、寝ながらにしてこの姿を見られるのである。
この形を変えることができるのなら、変えてごらん。
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これは写真の修正です


写真を修正してみました。
現実ではありませんので注意してください。

岩を除去してみました。
どうです、歩きやすくなったでしょう。

これは冗談です。
現実ではありませんので注意してください。
写真の修正をしただけです。
実際にこんなことがされる訳ではありません。



2010年9月27日月曜日

三ツ峠は本当にいいのか

三ツ峠がイイね、なんて言えるのだろうか。
三ツ峠は誰でも登れる必要があるんだろうか。
苦労して、苦痛で、つらい山で。

いつか馬返しで合った人。
おじいちゃんは昔三ツ峠に登ったのだと言う。
お孫さんだけ山頂まで行ったのだと言う。
おじいちゃんは馬返しで待っていた。
お孫さんが帰ってきた。
お孫さんは言っていた。
こんな大変な山なんか二度と登らないと。
三ツ峠は大変な山なのである。だから、人が登る。
おじいちゃんは三ツ峠の山が大変だから楽しいことを伝えたかったんだ。

里では、みんなが均等でなければならないそうで。
区別は差別だそうで。
出来ることはやって、出来ないことはゴメンと言ったらだめなんだろうか。
出来ることはやってあげて、出来ないことはやってもらって。
世の中に凸と凹、二つあってはいけないのか。
凸に凹を要求され、凹に凸を要求される。
里から逃げて山に入ったけれど。

もっと無名なほうがいいような気がしてきた。 三ツ峠の山。

ゴメン。 何もできるわけでもないのに、何か、加担したような気がして。
例の金曜の夜のことが、辛くなりました。
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お父さん、お母さん

不思議なことです。
人はなぜ危険なところに出かけるのでしょう。
わざわざ選んで。
古くは修験者たちの修行の場。
危険なところだらけ。

ボクが玄関をでたときから、危険がいっぱいあります。
お父さん、お母さん。
ボクを心配してくれるのは、ありがたいと思っています。

人はなぜ危険な山に出かけるのでしょう。
いっそのこと、入山禁止にしてしまいましょうか。
私は気が付きませんでした。三ツ峠が変わっていくことを。