2010年7月19日月曜日

三つ峠の水

柄杓の水が流れてきます。
三つの峰の水峠。
多くの方は、この姿を見ない。
沢沿いのこの道を歩いたもののみが知るその形。
三つ峠から水が流れてきます。
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2010年7月18日日曜日

夏です、山です、三つ峠

三つ峠の姿を見ずして登るのは残念です。
今日の三つ峠の姿はどうですか。
これが三つ峠。
これぞ三つ峠。
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2010年7月17日土曜日

新しい三つ峠の姿

午前中は雲の中のようでしたね。
朝から登られた方はどうでしたか?
三つ峠の登山道は整備されつつあります。
どうです。 すっきりした三つ峠。
三つ峠の奇怪な形。
三つ峠を見ずして三つ峠の上に立つことは
もったいないことです。
山頂へ行くまでにも、いくつもの楽しみがある山。
整備してくださっている方々に感謝。
私は当分、登ることができません。
達磨石までで帰ることにします。
新しい三つ峠の姿の楽しみは、もう少し後にお預け。
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2010年7月16日金曜日

もう(すぐ)夏、三つ峠

夕方の三つ峠です。
このところ山に入ることができません。
もうすぐ夏。
行っておきたい場所、あれこれ。
次の予定も立ちません。
登山道の整備はどこまで進んだのでしょうか。
ご苦労様です。
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人々が目指した三つ峠とは

どうしてこんなところを目指したのか不思議に思うのである。
山頂を目指すのであればもっと楽な道があるのに。

三つ峠は面白い山で古くから女性も登る。
伝説のとよ女もそうである。女性を入れない山ではなかった。
石造物の奉納者にも女性の銘がある。

八十八体の弘法大師、百体の観音、その他合計で200体もの石造物が存在した。
三つ峠を苦労して、苦労して登ってきた者に
運が開けてもいいはずである。
三つ峠を開運山と呼ぶのは自然なことのように思う。
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2010年7月11日日曜日

三ツ峠のとよ女の伝説

とよの伝説の舞台は5月5日の権現様のお参りである。では権現様とはどこか?
神鈴権現であり、三峠権現のことである。 これが存在するのは表三ツ峠の中峰の神社、裏三ツ峠の御巣鷹の尾根の神社である。
現在でも続けられている祭礼である。大幡では麓に降ろしているが、下暮地では岩下の社まで行くのである。犬のお札、猫のお札が配られる。伝説では、とよは可憐な花となる。悲しく、美しく。
伝説はその後、河口村のとよと伝えられるようにまでなる。
西面には三ツ峠に対する神社、信仰はない。三ツ峠の権現様の祭礼となれば、大幡村か下暮地村のとよであると考えるのが自然のように思える。 また、とよの花が咲くのは新暦の5月、旧暦5月では散ってしまっている。 以前述べたように、地球の寒暖周期による江戸期が寒冷期であったことを考慮すれば辻褄が合うのかもしれない。 昭和期の伝説には、それ以前のものと異なる意図が働いているようにしか思えない。 大幡、下暮地の住民には純粋な三ツ峠への思いが古くから、そして今でも続いていることを感じていただけないでしょうか。

2010年7月10日土曜日

三ツ峠と2つの御巣鷹山、総称は本来何と呼ばれるべきか

「三ツ峠  河口部落の東北側に位置し、木無山の陰に当たり、常時は眺めることは出来ない。
標高1786メートルで三峰連峰中の一山なり。
三峰とは御巣鷹山、三ツ峠山、木無山の総称にして、
三ツ峠とは開運山、中ノ岳、御巣鷹山をもって三ツ峠と言う」---ふるさとの地名考 河口、大石の部より

御巣鷹山-(開運山-中ノ岳-御巣鷹山)-木無山
というように五つの山が存在する。
開運山が三ツ峠の三つの岩峰の西峰であるとすると、
東峰は御巣鷹山である。
さらにその北側に御巣鷹山がある。  御巣鷹山-(御巣鷹山-中ノ岳-開運山)-木無山  

どうやらここらあたりが御巣鷹山-開運山-木無山と言われ始められる出処かもしれない。
三ツ峠を岩峰を見ることができないうえに想像されたものかもしれない。
三ツ峠の西面一帯は字名を「御巣鷹山」と言う。
この字内に、御巣鷹山と三ツ峠山と木無山が入る。
三ツ峠が御巣鷹山、開運山、木無山であるのではない。
字御巣鷹山の御巣鷹山、字御巣鷹山の三ツ峠、字御巣鷹山の木無山と呼ぶのが正しい。
三つの総称は三ツ峠ではなく、御巣鷹山という字名なのである。

この方面には三ツ峠の信仰となる神社、石造物が存在しない。
昭和13年、太宰はドテラ姿で登る。