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三つ峠、秩父観音像を五つ、新たに確認をしました。
「西桂町の石造物」、「三ッ峠の信仰と民俗」には載っていないものです。
となると、秩父観音巡りの道は大正時代の道とは異なるようです。
全てがそろうことにはならないでしょうが、あといくつかを見つけられればと思っています。
これらは幕末に奉納されたものです。 願いをかなえるために。
この時期になると倉見山のこの位置から太陽が昇ります。
上手宮浅間神社(西桂町)の参道の方向の延長線上です。
不思議に思うのは、太陽の出る位置の山の地形が平らになっていることです。
その地に行っても建物や石造物はありません。
神社から見て目印にだけなっていると考えればよいのでしょうか?
この神社から三つ峠に北斗七星が沈むのは秋です。
幕末時代三つ峠再興の主、空胎上人が水修行をした場所です。
空胎上人は、このことを知っていたに違いありません。(と思う)
愛鷹山、沼津方面から富士山に北斗七星が沈む。(はず)
富士山本宮浅間大社静岡県富士宮市)から富士山の上に北斗七星が昇る。 (はずである)
この時期において。
残念ながらその地に伺う機会がないので確認はしていない。
富士宮に居られる方がいましたら、その姿を公開していただきたい。
富士山の噴火のために建てられるのであるから不思議ではない。(と思う)
不思議であるのは、夜の富士山について語られることがほどんどないことである。
北斗七星が水を汲むための柄杓であることを認識した時代はいつのことだろうか?
富士には柄杓がよく似合う。
富士山北麓と南麓についての北斗七星の関係について考えてみた。
三つ峠は、やはり富士山と切り離せないのか。
三つ峠は三峠でも水峠でもよく漢字にこだわらない必要があると申し上げていたのに、
せのうみについては漢字にこだわってしまいました。
宇宙湖などにも漢字にこだわる必要がないかと思われます。
この時期に河口湖に居られる方に確認をしていただきたいのですが。
船津から夕方、北斗七星は見えますか?
筒口神社からは、三つ峠方面に立って見えるかと思います。
春分の日を決めていたのではないでしょうか?
明日、天気が良ければ確認に行ってみようと思います。
ライブカメラで見えないかと探したのですが、
富士山の方角しか向いていないようでした。
西湖は、古来「せのうみ」と呼ばれたのか?
「石花海」と書く。(こともある)
「石の花」とは何?
溶岩のぶつぶつした穴のものを花と考えたらどうだろう?
そうした「石の花がある海(湖)」。
「せのうみ」から「石花海」の字があてられたとすると、発音の方が古い。
「石花」を以前から「せ」と読んでいたとすると、溶岩が湖へ流入後のこととなる。
伊能図における河口湖の「仙湖」は、「せのうみ」ではないのか?
甲斐国志では、山中湖も「石花湖」とある。
そうなると富士五湖はすべて「せのうみ」ということになる。
山中湖の「宇津湖」の意味は? 「宇宙湖」?
「石花」について、ご存知の方居られませんか?
どうして「せ」なのか?
三つ峠については、やっておきたいことがあるのですが手付かずです。
では、笏(しゃく)は流されたのでしょうか?
やはり流され吸い込まれたのでしょう。
柄杓(ひしゃく)も流され、笏(しゃく)も流され、筒口に吸い込まれました。
さらに下暮地では、釈迦(しゃか)の仏像も流されました。
長い時間の中には、いろんな出来事がありました。
どれも本当にあったのです。(と思います)