東大の大仏の修復再建のために公慶上人は、勧進杓を手に庶民に寄進を勧めたという。
『柄杓』を手にして人々の前に差し出すのである。
差し出された杓の器の中に、布施をいれる。
今この時期、夕刻、三つ峠の山の上には、
勧進の『杓』が差し出されている。
『釈迦流れ』でなく、やはり『柄杓流れ』であるほうが辻褄が合う。
2009年10月5日月曜日
『柄杓流』は、『釈迦流れ』か?
『寺野』という地名があります。大竹の沢を『仏の沢』と呼びます。寺野には寺があったのですが、流されたという言い伝えがあります。この寺の仏像が流されたのでしょうか。柄杓流川の下流、夏狩において仏像を拾ったという言い伝えがあります。これをもって『釈迦流れ川』ということが明治初期に書かれています。江戸期における村絵図には、『ヒシャクナガレ』と書かれています。仏の沢は、姥捨ての道であるとの話もあります。現在では、人が入ることはなく不気味な感じもします。沢もいくつかに分かれていていっそう不安になります。 しかし、この道はかつて甲州街道へ向かう重要な交易路でした。多くの人々が行き交っていました。柄杓流れは、釈迦流れだったのでしょうか。2009年10月4日日曜日
2009年10月2日金曜日
三つ峠の呼び名のこと
三つ峠周辺の山、沢の名前。
昭和初期の登山地図。
ところが、地図に記載されている地名を
この地の住民は知らない。
『大久保山』などは、誰もそう呼ばない。
沢の名前は知られるようになった。
いったい『開運山』とは、
いつから誰が呼ぶようになったのだろう。
私は、それを見つけていない。
三つ峠の山を生活の場としてきた方たち。
この方たちの全く知らない世界が、
すでに一般的と思われる時代となっている。
時代の波というものは、昔を浚っていく。
明治への大きな波と、昭和の波。
こうだと言う者が多くなれば、
それがその時代の真実に。
結局真実というものは、
どの時点から見ているのかをはっきりしておかねばならない。
私の場合は、200年前位のことを起点としてみようと思う。
昭和初期の登山地図。
ところが、地図に記載されている地名を
この地の住民は知らない。
『大久保山』などは、誰もそう呼ばない。
沢の名前は知られるようになった。
いったい『開運山』とは、
いつから誰が呼ぶようになったのだろう。
私は、それを見つけていない。
三つ峠の山を生活の場としてきた方たち。
この方たちの全く知らない世界が、
すでに一般的と思われる時代となっている。
時代の波というものは、昔を浚っていく。
明治への大きな波と、昭和の波。
こうだと言う者が多くなれば、
それがその時代の真実に。
結局真実というものは、
どの時点から見ているのかをはっきりしておかねばならない。
私の場合は、200年前位のことを起点としてみようと思う。
2009年10月1日木曜日
三つ峠の信仰について
三つ峠の信仰は、空胎上人以前と以後で異なる。
元来、三つ峠は真言密教の山としての信仰が存在した。
空胎上人は天台宗の僧であり、以前の信仰を継承しながら
弾誓上人(木喰僧)の教えを持ち込んだのだった。
三つ峠の石造物は、そのほとんどが空胎上人以後のものである。
三つ峠は、富士山を拝むための山ではない。
(そういうものもあったのかもしれないが)
石造物からみると、三つ峠そのものを信仰の対象としていたことがわかる。
元来、三つ峠は真言密教の山としての信仰が存在した。
空胎上人は天台宗の僧であり、以前の信仰を継承しながら
弾誓上人(木喰僧)の教えを持ち込んだのだった。
三つ峠の石造物は、そのほとんどが空胎上人以後のものである。
三つ峠は、富士山を拝むための山ではない。
(そういうものもあったのかもしれないが)
石造物からみると、三つ峠そのものを信仰の対象としていたことがわかる。
登録:
投稿 (Atom)



