武田久吉氏の『冬の三ツ峠山』を読みなおした。
大正時代の三ツ峠が丁寧に書かれている。
古くから意識されてきた場所は屏風岩であったのだ。
河口方面からは毛無山の屏風岩。
大幡方面からは御巣鷹山の屏風岩。
暮地方面からは三峯山の屏風岩。
それぞれの里からの見方は異なる。
しかし、どれも三ツ峠のことなのである。
このことをいつのまにか、『総称』と呼ぶようになった。
やっと、謎がとけた。
2013年8月13日火曜日
2013年6月20日木曜日
復活を期待していない
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2013年3月3日日曜日
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2013年2月4日月曜日
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