のっぺりした三ツ峠しか提供できないのが残念である。
朝日や夕日の中の三ツ峠を見て感じること。
瞬間ではなく時間経過の中で感じること。
今、自分の背中には富士山がある。
到底富士山にはかなわない。
三ツ峠が岩山であること。
この岩の表情が変わること。
誰もが富士山を眺め、いつも背中にあること。
三ツ峠の道は山頂を目指していない。
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。
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