昭和15年9月14日。3000人が三ツ峠に足を運んだのだそうだ。
このころから御巣鷹山、開運山、木無山が三ツ峠と呼ばれるようになる。
では、それ以前はそうではなかったのか。
山が山頂という点でなかったころ、御巣鷹、開運、木無は三ツ峠であったのかもしれない。
三ツ峠は、どの場所に立っているかによって感じ方が違うようにも思う。
人それぞれの三ツ峠があるのかもしれない。
昔も今も。
現在では『三ッ峠山』と書いてあるものが多いようですが、かつては『みづとうげ』と発音し『三峠』とも『水峠』とも書かれていました。『三都峠』という古文書もありますが。御巣鷹、開運、木無が三つ峠ではなく、三つ峠そのものが三つの峰を持っています。その姿は西桂でしか見ることができません。大幡方面にのみ『水雲山』と称するお宮が存在します。『開運山』の名称は古文書には見当たりませんが呼べる理由は存在します。